証券会社の営業手法で瞬く間に成績をあげていった

自分のデスクに戻ると、鈴木さんとオペレーションをした女性行員が不安そうな顔をして私を待っていた。

「どうでしたか?」

鈴木さんがおそるおそる聞いてきた。支店長室で何を言われたかなどとてもじゃないが伝えられない。

「大丈夫だった。伝票に問題があったことをきちんと伝えたし、菅平君も反省していたよ。支店長からもしっかり注意してもらった。みんなに責任なんてないんだから安心して」

2人はまだ疑念がぬぐえない心配げな顔でうなずいた。

菅平君は32歳、1年前にある証券会社を辞めて中途採用で入行してきた。バブル崩壊後、F銀行は採用人数を極端に減らした。とくに山一證券が破たんした1997年ごろは新卒採用をほとんどしていない。そのツケがまわってきていた。

30代半ばから40代半ばまでといった、働き盛りの年齢層が手薄だった。それを補うため、2010年代あたりから中途採用者を積極的に採用し、即戦力として活躍させるようになった。菅平君もそのひとりだった。ただ、これには弊害もあった。

M銀行では新卒者へのOJTは手厚いものの、中途採用者への教育は不親切だった。中途採用者にはすべてわかっている前提で接するところがあった。菅平君もM銀行流の教育を受けず、証券会社で培った営業手法で瞬く間に成績をあげていった。

名刺交換するビジネスマン
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彼が得意としたのは個人のお客への投資信託の売り込みだった。短期間に何度も買っては売らせ、販売手数料を稼いだ。投資信託は売買時に銀行に手数料が入る。お客が儲かろうが損をしようが、関係ない。頻繁に売買すれば、その分だけ銀行の収益になるわけだ。

彼の成績が伸びると、阿部支店長の寵愛は一手に菅平君へ向かった。

形骸化していた「内部管理」システム

「菅平はすごい。菅平のような部下がもっと欲しい。キミたちも菅平を見習え」

ことあるごとに支店長はそう口にして、彼のやり方を奨励した。ほかの行員も我先にと、彼の手法を真似し出した。禁じ手ともいえるその販売方法が、下小岩支店では半ば組織的に行われだしていた。

銀行には、コンプライアンス的に問題がある販売行為を監督する「内部管理」というシステムがある。下小岩支店では、私が内部管理責任者を担っていた。しかし、そのシステムは形骸化していた。

内部管理責任者は問題と思われる行為を見つけた場合、本部のコンプライアンス部門に報告することになっている。報告があれば、本部は是正するように支店長を注意する。つまり、本部から支店長に連絡が行った時点で、誰が報告をしたかは丸わかりになる。

自らが推奨する方法を部下が問題視したとすれば、その部下に対してどんな処遇がとられるかは火を見るよりも明らかだろう。

私は菅平君の販売手法をマズイと感じながらもコンプライアンス部門に報告する勇気はなかった。ただ一度だけ、日常会話の中で菅平君に自重を促したことはあったのだが。