中国と“切っても切れない関係”になっていく

2000年代に入ると、「台湾アイデンティティ」がさらに強まった。2000年に国民党を破り当選した民進党の陳水扁政権(2000~2008年)は、「台湾は中華民国ではなく台湾そのもの」だと主張し、“台湾としての国家”を目指すようになった。

こうした台湾の動きに、中国はもちろん黙っていなかった。胡錦濤国家主席の時代(2003~2013年)、中国は台湾を承認する国々と外交関係を次々と樹立し、台湾の国際機関への参加を阻むなど“台湾への妨害”を繰り返した。

それでも民間経済の交流はますます盛んになった。台湾資本は大陸に進出し、多くの台湾系工場が中国を舞台に成長を遂げた。中国は台湾の技術を、台湾は安い労働力を求めて互いに絆を深めた。実利を重んじる台湾の商人たちにとって「政治は後回し」だった。

2000年代初頭、筆者が住んでいた上海にも多くの台湾資本が上陸した。飲料や菓子、カップラーメンなど主に食品市場を席巻し、上海市民の生活を豊かにした。日本で学んだ台湾人パティシエが上海の一等地で店舗を開くなど、東アジアの経済に一体感が感じられた時代だった。この間、台湾人と中国人のカップルも誕生した。この頃に生まれた子どもたちはすでに成人し、中台を結ぶ第2世代として活躍する時代に入った。

当時、「中国の成長力と台湾の技術力が組めば世界を制覇できる」といった声さえ聞かれた。しかし、「さあ、これから」――というところで立ち込めたのは、視界不良の暗雲だった。中国と台湾の蜜月も長くは続かなかった。(後編につづく)

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