父は旧制一高時代の同級生で臨済宗の禅僧となった中川宋淵そうえん師の紹介で、安谷白雲はくうん師という曹洞宗の禅僧と巡り合い修行に励みます。ある日、父は突然夜中に「見性けんしょう」という体験をします。悟りに達したのです。それから父は坐禅会を開くようになり、小学校高学年だった私も参加するようになります。

山田会長は毎朝6時に起床した後、25分間の坐禅を2回行い、就寝前にも座っている。
山田会長は毎朝6時に起床した後、25分間の坐禅を2回行い、就寝前にも座っている。また、仕事の合間にも時間があると、自分の部屋の中でこのように座ることもある。

最初は渋々やっていましたが、中学3年生のときに岩崎八重子さんの『八重櫻』という遺稿集に出会い、意識を大きく変えます。その中に「眼なくして見、耳なくして聞く、かく言うたとてもあともなし。ペンも紙も言葉もなし、何もなし」という八重子さんが見性した世界の一節がありました。八重子さんは旭硝子(現・AGC)を創業した岩崎俊弥氏の長女で、体が弱く鎌倉で病気の療養をしながら禅の修行に励み、大きな見性を体験します。しかし、その10日後に25歳で逝去してしまいます。

「八重子さんと同じような見性に達したい」と思い、それから私は禅に真剣に取り組みました。そして、実際に私が見性を体験するのは、それから6年半後の大学4年の卒業間際のことです。言葉では説明しづらいのですが、あえて言うなら、自分と物質も含めて他の存在との境目が消滅する体験でした。

禅の本質は、道元禅師が『正法眼蔵』でいう「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり」に尽きます。「自己を忘ずる」のが禅の本質なのです。自分を忘れれば、その分だけ自分と他人の間の垣根が低くなっていきます。

自と他の垣根が低くなると、他人の幸せは自分の幸せ、他人の痛みは自分の痛みとなり、周囲の社会や環境に対する配慮も自ずと醸成されていきます。「この垣根は実はもともとなかった」という気づきが見性、つまり悟りと言われるものです。お釈迦さんが言った「天上天下唯我独尊」は、まさにこの垣根のない「一つの世界」のことです。

合併でつくった「一つの世界」

三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)時代に取り組んだ大きな仕事の1つに、東京銀行との合併があり、私は三菱側の責任者として東奔西走しました。そこでは利害関係が複雑に絡み合い、様々な議論を積み重ねました。その間も坐禅を組んで瞑想していましたが、どちらが上か下かではなく、対等にして「一つの世界」をつくろうとの思いが、たえず私の中にはありました。

ロンドンで証券会社の社長をやったときに、デリバティブ事業部を立ち上げたのも強烈な印象として残っています。日本ではまだ立ち上がっていない事業でした。フランス人の数学者、イギリス人のインベストメントバンカーなど、いろんな国の専門家を集めて取り組んだのですが、一人一人が持っている特徴や考え方は当然違います。彼らの多様な考えを対立ではなく、共同作業をしながら1つの価値へ昇華させる必要がありました。その際役に立ったのが、まさに見性によって「一つの世界」を体験したことでした。