「空腹感」をゾーンに入る合図にする

走ると高揚感がもたらされるという現象も、私たちの祖先がサバンナで暮らしていた時代の名残だといわれている。

おそらく狩猟のときに長い距離を走らなければならなかったためだろう。今でもオーストラリアの先住民のアボリジニーや、アフリカのカラハリ砂漠で暮らしているサン族はそういった手段で食料を調達している。

数マイルの距離を走って獲物を追い込むときは、途中であきらめないことが肝心で、そこでエンドルフィンの恩恵を得ていたのだ。

たとえば、足首を捻挫したり筋肉を痛めたりすると、エンドルフィンがその痛みを消してくれた。また息が苦しくなっても、高揚感がもたらされることで楽に走ることができた。そして結果的に、獲物を仕留める確率が増えた。

今でも私たちが走るとランナーズハイになるのは、おそらくそこに理由がある。

ランナーズハイが長距離を走りつづけて獲物を仕留めるための、もともと身体に備わった仕組みであることを指し示す証拠は様々ある。

私たちの身体では、体脂肪が消費されると「レプチン」という、食欲を抑えるホルモンが減る。すると脳は、エネルギーが減ってきたので不足分を補わなくてはならないと考える。

人体は痩せ細らないように、つまり飢餓状態にならないようにできており、エネルギーが減ることはそれに反する事態だからだ。つまり生存本能が、常に身体にエネルギーをたっぷり蓄えておこうとしているのである。

上品な盛り付けのサラダを前に不満げな男性
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そして、ランナーズハイが獲物を仕留めるための仕組みだという仮説が正しいのなら、私たちの身体はランナーズハイを通して、こう知らせてくれている。「エネルギーの備蓄はもうすぐ空になるぞ。だから、あきらめずに走りつづけろ。もっと食料を手に入れるんだ!」

そして、それを助けるために高揚感がもたらされるのである。

ランナーズハイになる条件

研究では、少なくとも45分は走らないとランナーズハイは訪れず、また、頻繁に走れば走るほどランナーズハイになる可能性が高まることがわかっている。また、脳内でエンドルフィンが放出される量も、運動量が増えるほど増加するという。つまり、ランナーズハイになりやすくなる。

だから、あきらめないことだ。とはいえ、誰もがランナーズハイになるわけではない。絶対という保証はないのだ。

また、走っているうちに、まさにモルヒネを投与したときのように、苦痛に耐えられる限界値も上がることがわかっている。針で刺したりつねったりして痛みに対する耐性を調べた実験によれば、静止しているときよりも走っているときのほうが痛みを感じにくいことがわかった

これはエンドルフィンが高揚感をもたらすだけでなく、痛みを和らげる作用もあることを裏づけている。そして、その作用がきわめて強力であることは疑いようがない。

高速で走っているときのエンドルフィンの効果は、腕や脚を骨折したときに投与されるモルヒネの一般的な量、10ミリグラムに匹敵する。ランナーが疲労骨折(長期にわたり同じ部位に繰り返し力が加わったことで起きる骨折)に見舞われても走りつづけることができるのは、そのためだ。

走っているかぎり痛みを感じないが、止まったとたんにエンドルフィンの効果が薄れて痛みを感じるのである。

ランナーズハイは運動が脳に与える作用としては抜きんでて強烈ではあるが、たとえエンドルフィンがほとばしるような「目くるめく体験」はできないにしても、ごく普通に高揚感は得られる。

誰でも運動をすれば、ランナーズハイとまではいかなくとも、エンドルフィンや内因性カンナビノイドの恩恵にあずかれるのである。