「エンドルフィンのみが要因」ではない

しかし、ランナーズハイをもたらす物質については、じつは今も議論が続いていて、エンドルフィン以外の物質が高揚感をもたらしていると考える科学者たちもいる。

この疑問に答えを出すべく、ドイツ・ミュンヘンの科学者のグループが、地元のランナーズクラブのメンバーに協力を要請して調査を行った。

そして、ランナーたちが走る前に、また全力で走った2時間後に、PETスキャン(陽電子放出断層撮影装置)と呼ばれる検査によってエンドルフィンのレベルが測定された。

結果は一目瞭然だった。ランナー全員のエンドルフィンのレベルが、走ったあとに増えていたのである。とくに増加が顕著だったのは前頭前皮質と辺縁系と呼ばれる部位だったが、その2カ所は感情を制御している領域だ。

また、ランナーたちがおのおのの高揚感を段階別に表したところ、その段階が高いランナーほど脳内のエンドルフィンのレベルも高かった。

この結果を見るかぎり、ランナーズハイをもたらすものが何かという問いには答えが出たようだが、「エンドルフィンのみが要因だ」という説にはいささか異論もある。

第一にエンドルフィンの分子は大きいため、血液脳関門を通れない。

第二に、モルヒネやエンドルフィンを遮断する物質を投与された長距離ランナーでも、ランナーズハイを感じることができたのである。

海辺でジョギングする女性
写真=iStock.com/m-imagephotography
※写真はイメージです

なぜ「ウォーキングハイ」は起きないのか

ランナーズハイをもたらす物質として、ほかに考えられるものは「内因性カンナビノイド」だ。これもエンドルフィンのように体内で合成され、鎮痛作用もあるが、エンドルフィンよりも分子が小さいために脳に難なく到達できる。

また、脳にはエンドルフィンと結合する受容体とは別に、内因性カンナビノイドと結合するための受容体が備わっている。この受容体は中毒性の高い薬物とも結合する(マリファナの有効成分が結合するのは、この内因性カンナビノイドの受容体だ)。

内因性カンナビノイドがランナーズハイに関係しているという指摘は、フランスの研究チームの実験によって、にわかに信憑性を増した。彼らは遺伝子を操作して内因性カンナビノイドの受容体が欠けているマウスをつくったが、そのマウスの運動量に変化が見られたのだ。

通常のマウスなら、ケージ内の回し車を自分から進んでこぐ。だが、遺伝子を操作されたマウスは回し車に興味を示さず、通常のマウスの半分しか走らなかったのだ。

マウスがどれだけ走れば高揚感を覚えてランナーズハイになるのかを知ることはできないが、人間が走ったのちに内因性カンナビノイドがどのくらい増えたかを調べることは可能だ。

そしてこう報告されている。ただ歩くだけでは、内因性カンナビノイドは分泌されない。内因性カンナビノイドが分泌されるには、ランニングを1回につき少なくとも45分から1時間は続ける必要があるという

この条件は、まさにランナーズハイが起きる条件と同じである。そして当然ながら、ウォーキングではランナーズハイは体験できない。

科学者のなかには、ランナーズハイはエンドルフィンや内因性カンナビノイドではなく、ドーパミンやセロトニンが増えることで起きると考える人もいる。また、体温が上がることで高揚感がもたらされると考える科学者もいる。

最も可能性の高い説としては、ランナーズハイをもたらす要因は一つではなく複数あり、「エンドルフィンと内因性カンナビノイドの両方が関与している」というものだ。

ただし、生物学的な要因に関心があるのは、基本的には科学者だけである。ランナーやサイクリスト、テニスプレーヤー、そのほか様々なスポーツを行う人々にとっては、ランナーズハイの仕組みよりも、ランナーズハイという現象が実在するというだけで朗報なのではないだろうか。