日本は世界の鉄道建設で中国に敗れ続けている。元住友商事社員の小林邦宏さんは「日本はいまだに鉄道の価値を『速さ』だと思っている。すでに鉄道の価値は速さから『快適さ』に移りつつある。そこに勘違いがあるので、中国勢に負けてしまう」という――。

※本稿は、小林邦宏『鉄道ビジネスから世界を読む』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。

リニア/リニア実験車両
写真=時事通信フォト
山梨県の実験線を走行するリニア新幹線の実験車両=2014年9月22日、山梨県都留市

20年間で根本的に変わった「移動している時間」

世界中を旅していると、時間の感覚が妙に敏感になることがある。

ある国の駅から高速鉄道で別の国の駅に向かっていて、自分は「未来に向けて旅しているのだ」などと考えてしまうのだ。たしかに、到着時刻は出発時刻から見れば明らかな未来なのだが、普段は地球上の2点間の物理的距離を移動しているという認識しかない。日常の生活では到着時刻という数時間先を未来と考えることは少ないが、旅という特殊な環境(私にとっては日常かもしれない)が、今まで気づかなかったことに気づかせてくれることもあるようだ。

人間の1日の行動を「○○している時間」という視点で区切って考えてみると、たとえば「眠っている時間」に人間がやっていることは100年前とほとんど変わっていない。100年前に比べてベッドで寝る人が増えたとか、変化といってもその程度だろう。「働いている時間」は、ITの発達やテレワークの普及などで変化もあるが、それでも100年前にデスクワークしていた人は、現代でもデスクの前に座っているはずだ。

なんといっても、この20年間でもっとも大きく根本的に変わったのは「移動している時間」だろう。

簡単にいってしまえば、かつての移動時間というのは“死んだ時間”だった。出発して目的地に着くまでの数時間、基本的に通信も途絶状態だった。そのため、昔のサラリーマンは新幹線に乗り込むと「どうせ数時間は仕事ができない」と諦めて駅弁を開き、缶ビールを飲んでいた。しかし、現代のビジネスマンが新幹線に乗って、まず開くのはラップトップPC。もちろん、通信も可能だ。

リニアをはじめとする高速鉄道は本当に必要なのか

こうなると、新幹線の速度が上がって目的地までの所要時間が1時間短縮されたところで、さほどうれしくもないだろう。むしろ、列車の速度よりも「快適な作業環境」こそが、利用者が鉄道に求めているものではないのか。たとえば、豪華なクルーズ船というのは、そもそも「速さ」よりも「快適さ」を重視した移動手段だが、現在では衛星回線を利用したインターネットも使用できるようになっている。今後はビジネス・エグゼクティブの移動手段としての需要が増えてもおかしくないはずだ。

世界各地の入札で中国に敗れ続けながらも、日本は新幹線を輸出するべくアプローチを続けている。2015年にはバンコク―チェンマイ間(約670km)の高速鉄道建設で日本はタイ政府と合意し、正式契約も締結された。しかし、高速鉄道は本当に「今求められるもの」なのだろうか? また、品川―名古屋間を40分で結ぶリニア中央新幹線は、本当に必要なのか?