「根を持つ」ではなく「根に持つ」

たしかに、教養という根を持つことで、個を確立するというのは、そう簡単なことではない。そもそも日本には、個の確立を実現する風土が欠けているように思われる。過剰なまでに、共同体や共同性を重視する国だからだ。そんな風土のなかで個人が変わるのは難しい。

小川 仁志『不条理を乗り越える 希望の哲学』(平凡社新書)
小川 仁志『不条理を乗り越える 希望の哲学』(平凡社新書)

そこで私は、もっと日本人にあった提案をすべきだと考えている。

それは、「根を持つ」のではなく、「根に持つ」ということである。これは、恨んで忘れないという悪い意味で使われる語だが、物事にこだわるという部分だけをとらえると、必ずしも悪いことではない。そこをとらえて転用したい、と思うわけである。

日本人は、勉強によって個を確立していくというよりも、共同性のなかで物事を学び、一人前になっていくのではないだろうか。ものづくりの世界で親方から学ぶように、あるいは伝統文化を、家元を中心に構成された集団のなかで学ぶように。

結局、現代日本の個人が群衆、あるいは大衆に成り下がってしまっているのは、近代的個人になれていないからではなく、共同体の成員として育っていないからだと思うのである。

そこを変えていくためには、ただ過剰なだけで同調圧力としてしか機能していない共同性を、人を育てるための学ぶ共同体に変えていかなければならないのだろう。

そうして根を持った、いや「根に持つ」ことができた個人が育ってきたときに、初めて、ようやく私たちは烏合の衆を卒業できるのである。

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