中国の兵法書といえば『孫子』の評価がずば抜けて高いが、今回から取り上げる『三十六計』も、それに引けを取らない。

成立は比較的新しく、清王朝の頃だといわれている。それまで中国が長い歴史のなかで培ってきた謀略を、36種類にまとめ、解説を施したものだ。

現代中国でも本書は人気が高く、現地の書店に行くと、一般向けの解説書や応用書が何冊も並んでいる。

また、筆者は以前、中国でビジネスをしている日本人から、「ここで商売するなら、絶対に『三十六計』を読んでおいた方がいいよ。そうしないと騙されかねないからね」と強調された経験もある。

みずから謀略を使う、使わないにかかわらず、自分の身を守りたければ、その内容はぜひとも知っておくべきなのだ。

第一回目で、まず取り上げるのは「囲魏救趙(いぎきゅうちょう)」。これは、次のような歴史的な故事がきっかけで生まれた。

戦国時代、魏という国の将軍・●涓(ほうけん)が趙の都である邯鄲(かんたん)を攻撃した。魏軍の猛攻に、たまらず趙は斉という国に救援を依頼する。斉はこれに応じて、救援軍の将軍に田忌(でんき)、軍師には孫◎(そんぴん)という人物を任命した。孫◎は、『孫子』を書いたといわれる孫武の子孫だ。

田忌はさっそく、救援軍を攻防の渦中である邯鄲に向かわせようとする。ところが孫◎は、こう反対した。

「もつれた糸を解きほぐすときは、むやみに引っ張ったりしないものです。喧嘩の仲立ちにはいるとしても、やみくもに殴りに加わったのでは、何の助けにもなりません。相手の虚に付け込むことで、形勢を有利にすることができるのです。

いま、魏は趙に向けて精鋭部隊をすべて投入し、国元には老弱な兵士しか残っていません。このさい手薄になっている魏の都・大梁を一挙につくべきです。そうすれば、魏は邯鄲の包囲を解いて、自国に引き返さざるを得なくなります。包囲を解かせ、魏軍を疲弊させる――まさに一石二鳥の妙策です」

なるほどと思った田忌は、この策の通りに魏の都に軍を進めた。その知らせを聞いた魏軍は、まっ青になって自国にとって返す。田忌の軍は、それを途中の桂けい陵りょうで迎え撃って大勝利を収めた――。

誰しも、目標達成にのめり込んでしまうと、足もとが疎おろそかになってしまうことがある。そんな足もとこそ、絶妙な狙い目になる、と考えたのがこの謀略の肝に他ならない。