復習で振り返った先にいる自分は2割増しに見える

例えば「お風呂上がりのシャワーを浴びたばかりの自分を鏡越しに見ると、朝の寝起きの自分よりも2割増しくらいでシャキッとして見えた」なんて経験はありませんか? 「意外と悪くはないな……」なんて思ったりして調子に乗るのですが、その3分後には魔法は解け、残るのはいつもの残念極まりない自分……。鏡越しに見る自分は無意識に補正がかかるので、実物よりも多少マシに見えるという話を聞いたことがありますが、もしもそうなら我々の脳みそは優しすぎるウソつきです。

洗面所の鏡に映る自分の姿を見つめる男性
写真=iStock.com/Zinkevych
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さて、どうしていきなり自撮りやお風呂上がりの鏡越しの自分のようなことを話し始めたのかと言えば、これもまた復習時の「あるある」だからです。つまり、「復習で振り返った先にいる自分は2割増しに見える」のです。だからこそ、振り返った先にいる自分からは、敢えて2割の減点を食らわせなくてはいけません。そうでもしなくては、美化された誤った自分像を評価することになってしまい、客観的な視点でのより正確な振り返りにならないからです。

例えば、僕の場合は、自分で振り返ったときに「今日の自分は100点だったな」と思ったのであれば、その点数を0.8倍して「今日の自分は客観的には80点だった」として評価します。もし自分が100点だと思っていても、周りの人から見れば粗が目立つということだって、ざらにあるからです。だからこそ、最初に思った数字を0.8倍した点数こそが、周りの人々から見た自分の動きの評価点だと思ったほうがよいのです。

人類の多くは「自分に優しく他人に厳しい」

そんな大げさな、と思われるかもしれません。それは自撮りや鏡の話であって、行動や思考についてはこれが適用できるはずもない、と思いたい気持ちも分かりますが、僕はむしろ「行動や思考」だからこそ、2割増しに見える傾向が強いと思っています。

立派な人物像として「自分に厳しく他人に優しい」というものがあります。他人の失敗や不出来には寛容に接してくれるが、自分自身のそれについては何倍も厳しく確認し、己を律するという人物は、確かに立派で偉大な人柄を持っているといえます。ですが、この人柄が「立派で偉大」と言えるということは、すなわち、こうした人物が非常に少ないということをも表しています。つまり、僕を含んだ人類の多くは、非常に残念なことに「自分に優しく他人に厳しい」のです。