誤解のないように付記しておくが、安全委が常にこうしたスタンスで国民を守ってきたわけではない。福島の事故直後から、責任逃れだけに腐心し続けた斑目春樹委員長(安全委)の一連の発言と所作、本来の規制機関としての重責を果たし得なかった安全委の犯罪的な情けなさを、国民は冷徹に見据えておかねばならない。

しかし、少なくともこの防災強化に関するやりとりでは、安全委の担当者が途中まで正当に職責を果たそうと食い下がっている。国民の安全を犠牲にしてまでも官庁エゴを露出しているのは、やはり保安院のほうである。

PRESIDENT 2011年4月18日号掲載記事「5年前に指摘されていた福島原発『津波』への無力」(>>記事はこちら)で、筆者は「今回の原発事故直前に3桁にのぼる機器の点検洩れが放置されていたこと」「国民は危険情報を開示しない政府を信用できず、被災者は逃げる機会を奪われていること」「実は06年3月1日に国会で約束されていた福島原発の地震・津波対策が、何も講じられていなかったこと」などを、国会の記録を掘り起こして報じた。

当時の二階経産相とともに、地震・津波対策の約束を平然と反故にしたのが、今回批判されている広瀬研吉氏である。しかも、前述のFAXで時系列に見ると、広瀬氏率いる保安院が防災強化を潰すために安全委に圧力をかけ始めたやりとりは、その国会答弁の直後からだったことが分かる。政府の規制機関の長は、国民の安全のことなど眼中になかったということだ。