インターネットの普及は私たちの生活を根本から変えた。それは幸福なことだったのだろうか。慶應義塾大学の前野隆司教授は「すべてのテクノロジーにはいい面と悪い面がある。インターネットもまた、使い方を誤ると危険があることを理解すべきだろう」という――。

※本稿は、前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

スマホを手にベッドの上で膝を抱えうずくまる10代の少女
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幸せに生きていくためには、相手の気持ちを想像することが必要

以下は、わたしが遭遇した話だ。

ある会社の上司が、「あの部下は全然仕事をしない。あいつはダメだ。酷い部下だ」と怒っていた。そこで、当の部下に話を聞いてみた。すると、「あの上司はいうことがころころ変わるから結論が出るまで待っている」という。

このように、それぞれが自分の立場だけで状況を見ているから、いつまでもすれ違うことになる。恋愛も、国家間紛争も同じだ。

そうではなく、いったん相手の立場を想像し、実際に対話してみれば、「なんだ、そうだったのか」というような理由が互いにあることがわかってくる。

「部下はいまなにを考えているのか」「上司はいまどんな課題やトラブルを抱えているのか」と、相手の考えや気持ちを、感情に振りまわされずに考えられるようになる。

そうして相手の立場を考えられる想像力を活用すればするほど、自分の心に余裕が生まれるだろう。

「嫌な上司や同僚や部下がいる」と多くの人が嘆くが、根っからの悪人などいない。自分にとって「もともと嫌な人」はいないのであって、なにかの理由や背景によってそう見えているだけだ。

相手の気持ちを想像できることが、あなたが人とつながって幸せに生きていくために不可欠なのである。

人は「欲求」によって世界を見る

他者の立場に立ち、他者を理解するとは、他者の「欲求」を想像することともいえる。

わたしたちは、それぞれの欲求によって世界を見ている面がある。水を飲みたければ水を飲み、お金持ちになりたければお金持ちを目指すだろう。

人は自分の欲求のフレームで世界を見ていて、そんな欲求のフレームが世界には数限りなく存在する。

すべての人がすべての人の欲求を想像し、それぞれの欲求をともに満たすにはどうすればいいかを考え、対話し、合意を得ることができれば、みんなが幸せな社会をつくることができる。