派手な髪色の子を「自然に戻す方へ導く」のが「立派な指導者」か

【山本】今お二方の話を聞いていると「割と自由な公立学校もあるんだな」と思ったのですが、私が勤務してきたのは、例えば「頭髪の色が派手だと、式典に入れない。遠足に参加できない」ということを前提に、節目節目に頭髪や服装を指導することをずっとやってきました。私自身ずっとこの対応に疑問をもちながらも、従いながら教師生活を続けてきました。

いま、いろいろな方が報道で語っていらっしゃることで、自分自身も思っていたことを吐き出しやすくなったのはありがたいですね。

【内田】僕(赤色の頭髪)なんて式典出られないですね。

【山本】そうですね!(笑)

【内田】学校の中でそうした校則改革の機運が高まっているのでしょうか。それとも、一部の山本先生のような方が主導しているのでしょうか。

【山本】本校の職員室の中でも、機運が高まってきました。勤務校は人権教育を熱心に取り組んできています。でも多くの場合、入学試験もあるし、卒業式までには生徒を「地毛」にさせています。そこから、「卒業式でもやるのだから、その前の大切な行事でも髪の毛等の指導をする」ということが受け継がれていました。先輩方も悩みながら、私にその旨を話してくださったのを覚えています。

そして「髪の毛が派手な子が、節目に髪の毛の色を自然に戻す」ことができるのが「立派な先生」という風潮も感じてきましたね。「地毛に戻せるのは指導者の力量だ」というような価値観がないとは言えないと思います。それは、教師だけでなく多くの保護者も思っておられるのが実態です。わが子の派手や素行をなおせるかどうかは、その担任の力量次第だと思っている保護者は必ずおられます。「○○先生の言うことだったら聞くのに」と。「でも、髪の毛の色を黒くさせること。それが教師に必要とされる力なのか」。こうした疑問を、語れるようになってきました。

校則の意味を語れるようになってきた

【内田】校則指導が第一だった学校がその意味を語れるように変化したということは非常にいいことですよね。一方で、M先生とこころ先生のところはほとんどそのような厳格すぎる校則はないけど、少し閉塞感がある、というところだと思います。山本先生のお話、いかが考えますか?