なぜ戦いが起きるのか、どうすれば終わるのか。それを考察するのが軍事研究だ。東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんは「戦後、日本史研究では軍事史が排除されてきた。だが、戦争は政治の延長線上にあるものだ。むやみに批判するのではなく、学問として考察することが重要ではないか」という――。

※本稿は、本郷和人『「合戦」の日本史 城攻め、奇襲、兵站、陣形のリアル』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

夕暮れ時の軍事ミッション
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「軍事研究はやってはいけない」という雰囲気

武士とその歴史を見るとき、やはり考えなければならないのは軍事であり、軍事史なのだと思いますが、実際には戦後、日本の歴史研究というのは政治を中心とした政治史のかたちで進められてきました。そこには、軍事史をある種のタブー扱いする傾向があったことが見て取れます。

その大きな理由としては、やはり、日本においては、太平洋戦争の敗戦が大きかったのだろうと思います。太平洋戦争の死者は300万人以上と言われています。そのような惨事を引き起こした戦争を忌避する気持ちとそれに対する批判から、戦後になって多くの大学では「軍事研究はやってはいけない」という雰囲気が漂っていたのです。

それでは逆に昭和の戦前・戦中においては軍事史研究というものがきちんとなされてきたのかというと、それ自体、満足には行われていなかったと思います。その理由として、歴史学においては戦前・戦中において優勢だった皇国史観というものがあまりにも軍部と関係を持ちすぎたことが挙げられるでしょう。

在野研究者の間では有意義な研究もされてきた

皇国史観は神話である『古事記』や『日本書紀』を歴史的事実として扱いました。つまり「物語」を重視した歴史観です。軍事もまた、川中島の戦いにおける上杉謙信うえすぎけんしん武田信玄たけだしんげんの一騎討ちや桶狭間おけはざまの戦いにおける織田信長おだのぶながの奇襲戦法など、超人的な英雄の存在を伴いながら物語化しやすいものです。

戦後、アカデミックな日本史研究のなかからは排除されてきた軍事史ですが、他方、在野研究者の間では有意義な研究がなされている場合もあります。しかし、その多くが「長篠の戦いで鉄砲の三段撃ちはあったのか」とか「桶狭間の戦いのとき、信長は奇襲を仕掛けたのか」というようなかなり限定された問答に偏りがちではあります。

そうした在野の研究者のなかで、戦国時代の合戦を中心に研究されている藤本正行さんという方がいらっしゃいます。藤本さんは「桶狭間の戦いは奇襲ではない」と主張して注目を集めた方です。その説の是非は置いておくとして、藤本さんは「戦前・戦中の歴史学は少数が多数に勝つということを強調しすぎている」という指摘をしました。この指摘は実に正しいと思います。