「弱者男性の安楽死を合法化せよ」

【斎藤】まさに、世代的にはあれを愛読しているような人たちです。で、そんな彼らも、実は優生思想を自ら振りまいている部分があるんですよ。自分が疎外されたと感じた時に、彼らが必ずと言っていいほど口にするのが、「俺なんか生きていてもしようがない」というひと言なのです。なぜなら、金も稼げない、生産性もない、何の役にも立っていないのだから……。しかし、そうやって並べていくロジックの全てが、「役に立たない人間は生きているな」という優生思想に、見事に収斂しゅうれんされてしまう。

【佐藤】往々にして、そうやって自分に向ける刃は、他人にも向くことになります。

【斎藤】まさにその通りで、彼らは他人の生も批判します。ですから、かなりの部分が、植松死刑囚のロジックを肯定してしまうところがある。医師が難病患者の生命維持装置を止めるような行為に対しても肯定的で、「だから俺たちにも安楽死を認めろ」と主張したりもします。結果的に、優生思想へのかなり強力な支持を表明することになっているわけです。

一方で、男女を問わず自分が「強者」だと認識している人たちはもとより、社会はそうした弱者男性に対して、決して温かくはありません。「弱者男性の安楽死を合法化せよ」というようなどう考えても差別的な言説が、ネット上を飛び交ったりするわけですね。そんなところからも、現代の優生思想が徐々に、しかし確実に蔓延しているのではないかという危惧を禁じ得ないのです。

深夜にスマートフォンを操作する男性
写真=iStock.com/Chainarong Prasertthai
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弱者の側にいるのに、弱者切り捨てに賛成してしまう

【佐藤】この前、非正規雇用労働者などの支援活動をしている作家の雨宮処凛かりんさんと対談したのですが、支援を受ける人たちに共通するのが、お話しのように自己肯定感が極めて低いことだとおっしゃっていました。一方で、理想とするのは、実業家の前澤友作さんや堀江貴文さんだったりするんですね。やっぱり、新自由主義的なものはウェルカム。なぜ自分を苦しめているものを是認してしまうのか、クエスチョンマークしかないと彼女は言っていました。

【斎藤】弱者男性の怨嗟えんさの向かう先は、支配層ではなく、自分のちょっと上の中流ぐらいの層だというのも、よく言われることなんですね。自分たちより弱者に対しては、もっと容赦なかったりする。結果的に、弱者切り捨てに賛成してしまうという、自分の首を絞めるようなことになっているのです。

【佐藤】さらにこうした弱者男性たちは、福祉の話になると、「でも財源がないから」などと言うのだそうです。自分自身は弱者なのに、まるで為政者側の立場にいるかのような発言をする。そのことにも驚いていました。