会社を辞めてやりたいことをできる喜びを知る

そうして、僕は、何かに突き動かされるように、会社を辞めた。次の当てはなかった。

上長に辞意を伝えたとき「何を夢見ているんだ。会社で働くっていうのはそんな甘いことじゃないんだよ!」と諭された。ライターになりたいと告白した同僚にはこっぴどくバカにされた。

散々な辞めようだったけれど、運のいいことにある出版社の就職試験に受かって、僕は記者としてのキャリアをスタートさせる。面接にミニコミ誌を持っていったが、「君がこれからやることはこれじゃない。商業誌だから、わかるよね?」と一蹴された。僕は、元気よく「はい!」と返事した。

僕はやっと自分のやりたいことをできている喜びで、日々、浮かれていた。それは夢のような日々だった。その出版社のデスクがカンボジア復興支援のNPO活動を行っていたのだが、ある日「手伝いをしないか」と言われ、誘われるままにカンボジアに行った。それがほぼ初めての海外体験で、僕は旅の醍醐味にすっかり魅せられた。

バックパックを背負って空港を歩く男性
写真=iStock.com/VivianG
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取り憑かれたように海外放浪へ

年齢は28歳。少し時代遅れのバックパッカーとして、それから休みを見つけてはバックパックを背負って海外放浪の旅に出ることが多くなり、世界そのものを見るようになった。

沢木耕太郎の紀行文学の傑作『深夜特急』を模倣した、芸人・猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク企画がテレビで人気を博していたのは、僕が高校生の頃、1996年のことだ。またその前年に刊行された写真家・小林紀晴の旅行記『アジアン・ジャパニーズ』も話題のベストセラーとなっていたことから、大学生になる頃にはインドやタイに行く人が多かった。しかし僕は、性格的にへそ曲がりで同時代の流行に反発する傾向があったので、その頃はバックパッカーの旅に一切興味がなかった。

そんな自分が、いつの間にか取り憑かれたように、海外放浪に出かけるようになったのだ。

訪れた国はどこも刺激的で、人生について考える上でなんらかの示唆を与えてくれた。当然のことながら、日本社会の一般常識が普遍的なものでもなんでもない、という事実にも気づかされた。そのことによって、自分の思考の自由度が、どんどん広がっていくのを感じた。

その後、僕は、ある芸能事務所の出版部門に転職した。これまでの報道ではなく、カルチャー系の雑誌をやってみたかったからだ。しかし、そこでは、思うように仕事ができなかった。また、僕はもっと長期の旅に出たいと思っていた。しかしこのまま会社にいると、定年までそんなことはできない。絶望的だった。だから僕は、ふたたび会社を辞めてしまった。