日本で初めてポテトチップスを「お菓子」として一般向けに量産し、販売したのは湖池屋だ。来年2022年は同社第一号のポテトチップス「のり塩」の発売60周年。ホテルや高級バー向けの高級おつまみだったポテトチップスは、いかにして「一袋150円」の国民食になったのか。湖池屋創業者の息子で現会長、小池孝氏の証言を交えて明らかにする——。(第1回)
現行と60年代の「ポテトチップス のり塩」パッケージ。
画像提供=湖池屋

日本に根付いた新しい“食文化”

戦中から戦後の日本ではジャガイモが嫌われていた。なぜなら当時イモ類は、米・麦の生産が逼迫ひっぱくしていた時期の代用食だったからだ。少なくとも1950年代まで、日本人の多くにとってジャガイモへの関心は薄かった。

現在の日本人は、そのジャガイモを原料とするポテトチップスが大好きだ。1人あたりのポテトチップス消費量はアメリカやイギリスに負ける。しかし、フレーバー(味)のバリエーションや製法の創意工夫に関しては間違いなく世界一と言っていい。

もはや日本人にとってポテトチップスは子供のおやつにとどまらない。老若男女、誰もが食べる国民食だ。コロナ禍でポテトチップスの売り上げは伸びたが、リモートワーク中の大人たちもそこに貢献したことは想像に難くない。

ポテトチップスはいかにして、“日本の食文化”として根付いたのだろうか。