また、私は、価値関係訴訟についてコメントや説明をする際には、その判決にいくらかでもよい部分があればそこにふれるようにもしている。現地の記者のなぜそうするのかという疑問に対しては、「だって、よい部分については評価しなければ、次の裁判官がよりよい判決をくれる可能性もなくなってしまうでしょう?」と答えている。

中堅以下裁判官のやる気をなくす控訴審判決の傾向

最後に付け加えれば、高裁以上の裁判官の場合に目立つのが、広い意味での社会的価値にかかわる訴訟一般について地裁の認容判決をつぶしたがる傾向である。そうした訴訟について地裁が苦心して考えた判決、法律論(たとえば、憲法訴訟、行政訴訟、国家賠償請求訴訟等についての果敢な判断。刑事難件についての無罪判決。あるいは、社会的な事件について原告救済のために新しい法理を示した判決等)を、高裁がいい加減な理由で破り、それが確定してしまうという事態もよくある。

地裁の示した新しいヴィジョンの芽がこともなげに摘み取られてしまうわけであり、中堅以下の裁判官たちがやる気をなくしてゆく大きな原因になっている。これも、年功序列制になっている日本のキャリアシステムに目立った大きな問題だ。

「刑事事件だけはやりたくない」4つの本音

次に、刑事訴訟の問題点に移る。

刑事裁判官は、私が裁判官をやっていた時代には、仕事の忙しさからいえば多くの場合民事よりも余裕がある(特に忙しいときを除けばおおむね定時までに仕事が終えられる、という話は何度か聞いた)にもかかわらず、希望が少なく、優秀な人材も集めにくかった。実際、民事系には、「刑事だけはやりたくない」という若手がかなりいた。

その理由としては、(1)そもそも日本では刑事事件が少なく、小規模の裁判所ではあえて刑事専門のセクション、刑事部を設ける必要性があるかは疑問といった状況であること、(2)刑事は、特に裁判官単独体事件(1人の裁判官が担当する事件)では同じような事件の法廷が一日中続くといったこともあって、仕事が単調であること、(3)日本では検察官が事実上刑事司法を押さえてしまっており、刑事裁判官は検察官の出してきたものを一応審査する程度の役割に甘んじている場合が多いこと、などが考えられる。

(4)さらに踏み込めば、刑事訴訟・裁判の感覚の古さということもある。普通の市民にとっては刑事訴訟のほうが民事訴訟よりもわかりやすい。しかし、刑事訴訟には、そのように「世間」に近い分、そして、国家権力の発動という側面が強い分、日本社会の古い体質を引きずっている部分もまた大きいのだ。