日本の優等生は、人生に面白みがない

ビジネススクールへの留学資格は、基本的にAO(アドミッションズ・オフィス)入試で決まる。課題に合わせてエッセイや論文を書き、推薦書を添えて提出する。これに筆記試験の点数が加わるが、筆記試験は勉強すれば、何とかなる。問題はエッセイや論文で、これに受かるには「個性」が求められるのだ。

試験官は、何千通ものエッセイを読まされるのだ。受験生の大半は学歴も職歴も一定以上のエリートだ。誰でも書けそうな凡庸な内容しか書いていなければ、すぐに見切られ、落とされる。

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写真=iStock.com/teekid
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試験官にアピールできる内容にしなくてはならないのだが、日本的な教育制度の中で育った優等生は、無難なことしか書けない。皆が似たりよったりの優等生人生しか送っていないから、そこに差が生まれないし、面白くもない。人生に面白みがないから、人を面白がらせたり、ハッとさせたりする文章が書けないのだ。それが多くの不合格者を作っているように、私には思えてならない。

波乱万丈の経歴でスタンフォード大学に留学

ここで活きてくるのが、失敗や挫折の経験である。挫折を経験し、それを乗り越えていくときに一つのドラマが生まれる。ものの見方に幅が生まれるし、人と違う個性をアピールできることにもなる。

私が受験にあたってスタンフォード大学へ提出した20代半ばまでの経歴は、日本人受験生としてはなかなかユニークであった。有名大学を経て司法試験にも合格したのに、それを棒に振って、ボストンコンサルティンググループ(BCG)に入社。その会社にもいつかず、1年で新会社CDIに移っている。これくらいのネタがあれば、十分に波乱万丈の物語を作れる。

もちろん、そのためにBCGに入ったわけでも、CDIの設立に参加したわけでもないし、それが決め手となって留学できたわけでもないだろうが、このような経歴が留学時代にいろいろ役立ったことも事実だ。

ちなみに当初はその成功が非常に不安視されていた産業再生機構(※)に、前職をなげうって飛び込んできた若者の多くが、後にハーバードやスタンフォードといった超一流ビジネススクールに合格している。そりゃあそうだ。再生機構の軌跡自体が一大ドラマである上に、そこで彼らが任された仕事も、企業再建の壮絶なリアルドラマである。彼らのエッセイが目立ったのは当たり前だ。

※バブル経済の崩壊後、大手銀行の不良債権問題を解決するため、2002年、小泉政権下に機構の設立。5年間の時限的な組織として、国の出資で03年に発足した。多額の借金を抱えて経営が悪化しているものの、本業について競争力のある企業について、債権を機構が買い取り、公的な管理下に置いて、再建を行った。