さて同じく95年に発売された隠れた名曲があります。鈴木蘭々の『泣かないぞェ』です。彼女はテレビ番組『ポンキッキーズ』で共演していた安室奈美恵の陰に隠れてしまい、損した部分もあるのですが、非常に歌唱力があって得がたいシンガーでした。
曲調は、まさに70年代のソウルミュージックそのもの。もっと言えば70年代の筒美サウンドをそのまま再現しています。これも先に述べた、筒美京平リスペクトブームに乗ってのことです。最新の筒美京平ではなく、“あの頃の筒美京平”をリスペクトするスタッフの手が入っているはずです。筒美京平のように、昔とった杵柄を自信を持って現代に適応させていくこと。このあたりもビジネスマンとしても学びたい点です。
長瀬智也のボーカルに込めた日本への思い
だんだんと音楽シーンでの存在感が薄まってきた筒美京平。作曲人生で、最後にヒットチャートの1位を取った曲は、TOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』(2003年)でした。作詞はなかにし礼ですが、これは筒美京平からのラストメッセージという感じがします。
筒美京平が音楽業界の中心にいた時代は、日本の景気が良く、海外進出も積極的に行う“ジャパン・アズ・ナンバーワン”の時代でした。それからバブル崩壊を機に、日本の活力も、筒美の時代も、少しずつ衰退していきます。このころは“失われた20年”といわれる景気悪化に加え、01年にはアメリカで同時多発テロがあり、どんどんドツボにはまっていく時代でした。それでも「大志を抱け!」と、残された日本人を勇気づけてくれる強いメッセージ性を感じます。
この曲は東海道新幹線のCMソングとして、新幹線と共に力強く鳴り響きました。リリース日には東海道新幹線の品川駅が開業し、今でも新幹線(JR東海車両)の車内チャイムとして使用されています。「もう1度立ち上がれ」と、出張中のビジネスマンを奮い立たせてくれる曲です。
筒美京平の曲がヒットチャートの1位を獲得したのはこの曲が最後。TOKIOの長瀬智也のボーカルが素晴らしいんです。最後に良いシンガーと巡りあったなという感じがしますね。
時代を反映したヒット曲を作り続けた筒美京平は、日本の成長、成熟、そして衰退とともにありました。筒美京平の作曲人生は、日本の姿そのものです。多くの日本人の胸に青春のメロディを残し、その生涯を静かに閉じました。