逃げたはなえさんを追って、夫は郵便局で暴れ散らし…

「すべて夫のなすがままで妊娠していました。一度、『もう育てられないだろう』と夫が言うので中絶したこともありましたが、同時期に夫の浮気相手も妊娠していて、結婚のあいさつまでしていたことがのちに発覚しました」

鬱になって病院に通うようになったとき、カウンセリングで徐々に家の異常さを確信した。夫から逃げなくては――。

はなえさんは、鬱状態でも必死で子育てや家事を行いながら、夫にバレないように水面下で役所やシェルターなど各所へ相談に回った。パートで働いた給与を少しずつ貯金し、引っ越せるように隣町に賃貸を契約。子供の転校や仕事のこともあるので逃げるタイミングを見計らっていた頃、そのときはきた。

「夫がいつも以上に怒りを爆発させて、小学生の長男を鼻血が出るまで蹴ったんです。ほかの子供たちも怯えていて、もう限界でした。その夜に、もう夫から逃げようと決めて、翌日には小学生2人と保育園児2人の子供を連れてシェルターに入りました。

手を前に出し、やめてほしいというジェスチャー
写真=iStock.com/gan chaonan
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でも、これで逃げられたわけではなかったんです。数週間シェルターにいた後、契約していた賃貸に引っ越す予定でしたが、郵便物の転送届をヒントに、夫は郵便局で暴れ散らして市町村までを聞き出したのです。しらみつぶしに町内の家を一軒一軒探して、駐車場にある私の車が見つかってしまいました。結局、そこには住めませんでした」

それからも、母子寮、生活支援施設と4人の子供を連れて転々とし、派遣社員の給与と生活保護費で生計をやりくりした。再びアパート暮らしを始めると、離婚調停で家庭裁判所から帰宅するところを尾行されて自宅がバレてしまい、また引っ越し。県をまたいで引っ越したとき、ようやく夫から逃れることができた。はじめに家を脱出してから、半年の月日が経っていた。

それでも夫や親に怒りを覚えたことはなかった

めまぐるしい壮絶な過去に、言葉がつまるばかりだ。内容に反して淡々と語るはなえさんに、夫や親に対して怒りを覚えたことはなかったのかを問うと、意外な答えが返ってきた。

「周りの人を責めたことはなかったので、怒りもなかったです。あの時あの道を選んだ自分が悪いと、責めるのはいつも自分でした。人のことを嫌っても嫌われてもいけないと思ってきたので。

なぜそんな思考になったのかというと、恐らく母親の影響です。母親はどう思うのか、怒られるんじゃないかということを第一に考えて生きてきたせいだろうなって。無意識のうちに自分が周りにどう思われているのか、人の目ばかりを気にしていました」

そんな価値観を変えるために、はなえさんが意識したことがあるという。