リクルートスーツ姿の新入社員たちと大量生産された多数のネジ

仲良くさせていただいているお笑い芸人・ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんから、以前「揃いのリクルートスーツに身を包んだ新入社員の集合写真と大量生産の多数のネジの写真」が同時に送られてきて大笑いしたことがありましたが、まさにまったく同一に見えたものです。

無論、大企業に入ろうとすること自体を揶揄やゆしているわけではありません。その社会的な貢献度は素直に認めたいと思いますし、働きたくなる理由も「実際レベルの高い社員は大勢いるから」とか「育てる力が備わっているから」などとたくさんあるのは百も承知です。ただ、そこを通過しようとする際の「自然とみな同じ佇まいになってしまう日本人ならではの気風」の中に「同調圧力」の匂いを感じるのであります。

ことにこのコロナ禍はさらに日本人の「同調圧力好き」を露呈させました。

マスク警察、自粛警察などは、「人と足並みが一瞬でもズレている人に対する嫌悪感」の表れです。未知の疫病がもたらした未曽有の不況がそれを増幅させています。

落語は「同調圧力」の賜物

ここで、翻って考えてみました。

仮説ですが、「日本人の同調圧力好き体質」が「落語」を産んだのではないか、と。

落語は、下半身の動きを制御した特殊な芸能です。しかもそのストーリーは、状況説明をほぼカットしたかたちの会話のみで、進行します。

観客は、「ああ、登場人物は若い女性だな」「ああ、いま酒を飲んでいるな」などと、演者の口調と上半身の手振りのみで想像することに「同調」します。観客には非常に負担を要求する「同調」ではありますが、その総和は気持ちのいい「圧力」となって会場全体に夢のようなひとときをもたらします。

これはもちろん苦痛でははい「同調圧力」ですので、「マスク警察」などとは違った、「いいほうの同調圧力」なのかもしれません。

考えてみたら、近著の『安政五年、江戸パンデミック。』(エムオン・エンタテインメント)にも書きましたが、安政の大地震などの災害、黒船来襲などの外圧の中で、うまい具合にやり過ごすことができたのは、あらゆるストレスを分散するかのように機能した長屋のコミュニケーションという「同調圧力」でもありました。

そして特筆すべきは、そんな過酷な環境の最中、安政年間に江戸で寄席の数が170以上に増加したことでした。国難を「いいほうの同調圧力」で乗り越えたという見本がこの国なのです。