忘れるための努力は不要、悲しみは「愛した証拠」

故人を供養する「お盆」の時期、愛する人、大事に思う人の死を経験したあなたは、何を思うだろう。

連載の趣旨である「根拠ある医療健康情報」から離れるが、コロナ禍で死を身近に感じる今だからこそ“誰かとの別れ”から立ち直っていく過程にふれてみたい。

ひとりで死ぬのだって大丈夫』(朝日新聞出版)などの著書を持ち、緩和ケア医として多くの患者の終末期に接してきた奥野滋子医師は「この時期になると、故人が家に戻ってくるのが待ち遠しいという声が(ご遺族から)聞かれる」と話す。

「ひょっとしたら目の前に現れるんじゃないか、抱きしめてくれるような感覚がしないかなぁって言う人もいます。死者との対話を楽しめる時間、心の思いの丈を伝えられる機会がお盆なのかもしれません。私にとっても生まれてから出会い、死によって別れた人々――親族だけでなく友人知人、看取りをさせていただいた患者さんとの対話を静かに楽しむ大切な時間です」

そう、お盆は故人の精神と向き合うのに必要な時間だと私も思う。しかしまだ大切な人が亡くなって数カ月、1年、あるいは数年の場合、涙なしで故人を語れないし、お盆が待ち遠しいという感覚になれないかもしれない。

奥野医師と同じく、長年化学療法や緩和ケアによって多くの患者を看取ってきた林和彦医師はこう言う。

「早く元気になろう、忘れようと自分から乗り越える努力をしなくていいと思います。“時間”が必要。時間にはものすごく大きな力があります。どんなに大事な人を亡くしても、時間が解決する部分は大きい」

以前、奥野医師とともに働いていたがん看護専門看護師の森谷記代子さんに、大切な人を亡くした人に対する「グリーフ(悲嘆)ケア」を教わった。彼女も、こう話していた。