不意打ちの「突き」をかわして…

吉村とソファラディは向かい合った。ソファラディが攻撃側である。「上段行きます」と言うはずの彼は下を向いて、帯を締め直したりして、組手を始めようとしない。吉村が、「何をしているのか」と思った、その時だった。ソファラディが突然、吉村の顔に向け、思い切り突きを入れてきたのだ。約束なしの上段への突きだった。岡本から「気をつけろ」と忠告されていた吉村は準備ができていた。ソファラディの突きを片腕でかわして、足払いをかけた。ドスン。ソファラディは横倒しになった。吉村はその上から、蹴りを3回入れた。相手は血だらけになった。岡本が離れたところで、それを見ていた。

吉村の身長は185センチである。当時は20代半ば。強い盛りの彼にとって、空手を習って2年ほどのシリア人の突きは子供のお遊び程度だった。ソファラディは日本の空手家の強さをわかっていなかった。自分が新しい指導者を倒し、この国の空手界で支配的な地位を築こうと思ったようだ。吉村はこう回想する。

まったく別の空手がそこにはあった

「思い切り3度踏んづけたでしょう。それでパッと周りを見たら、すぐ近くの階段の踊り場にカメラを持った人間がいるんです。シャムスが呼んでいたんです。今度来た日本人指導者を初日に血まみれにするから、それを撮れということだったようです。シリア人の精神を見た気がしました。日本人のように、試合の前後に礼をするような空手ではない。まったく別の空手がシリアにはあることを痛感しました」

岡本が生きてきたシリアは、日本とは異質な社会だと吉村は思い知った。その後、吉村は警察の将校官舎に入ったとき、玄関ドアの窓ガラスに板を張っている。

「手榴弾を投げ込まれたら、やばいなと思ったんです。シャムスならやりかねない。危ねーなと思ってね」

折田先生と面会の帰り道、トラックに突っ込まれる

72年の秋ごろになると、「オカモト」の名は中東全域に聞こえるようになり、他のアラブ諸国からの指導要請が引きも切らずに来るようになった。

そんなある日、岡本は妻のヒロミと吉村、そして空手の生徒、ヘケマット・ラバディーニの4人でシリア北部アレッポを訪ねた。シリア第2のこの街には、岡本の数少ない理解者、折田魏朗がいる。岡本はこのときの訪問について、「アレッポ大学で空手の演武をしたあと昇級昇段試験をし、折田先生にあいさつした」と語っている。一方、吉村は、「折田先生の息子が病気になったので、その見舞いに行ったんだと思います」と言う。ヒロミに確認すると、「両方の目的だったように思う」とのことだった。