渡部氏のやり方は「不倫」とは言いがたい

ポイントは“身も心も”である。マジメに不倫している人たちは、相手を“運命の人”とよく言う。出会う時期が遅かっただけ、それぞれの家庭を壊すのは申し訳ないという責任感もあって、人目を忍ぶ関係を続けているのである。

だからこそ、渡部式は「不倫」ではなく、あくまでも「女遊び」と言ってほしいというのだ。今年の初めに話題になった、俳優・東出昌大とは対照的である。どちらも「正義依存症」の人たちからは糾弾されているが、「どちらがマシか」ということも世間では話題になっている。

東出式不倫はわかりやすい。不倫をしている当事者たちも、「妻が妊娠中に不倫を始めるのはどうかと思うが、結婚していても他に好きな人ができてしまう心理はよくわかる」と話す。そういう人たちは、根本的に結婚と恋愛とは別だと思っている。結婚したら、配偶者となった人との恋愛が終わったことを実感し、たまたま外に好きな人ができて自分の中の恋愛感情が作動してしまったのである。

ところが渡部式不倫は、不倫容認派をも混乱に陥れた。自分の仕事先である六本木ヒルズの「多目的トイレ」に女性を呼び出し、さっさと行為をすませてバッグの上に1万円を置く。それは不倫を「恋愛にしたくない」男の心理だと思うのだが、「だったら風俗へ行け」という声も飛び交う。それもまた真実である。だが、彼としては、風俗へ行けばうわさになる。一般人のほうが口が堅いと思ったのだろう。あるいはプロにお願いするより、一般女性を落とすのが楽しかったのかもしれない。そういう意味では女性を見くびったともいえる。

余談だが、世間にはいろいろな場所で不埒ふらちな行為に及ぶ人間がいるものではある。新幹線のトイレ、雑居ビルのトイレ、雑居ビルの非常階段の踊り場、公園などなど。欲望が高まれば場所を問わない人、あるいはスリルを楽しむ人など目的はさまざまだが、トイレだからといってそれほど驚くには当たらないのだ、一般人であれば。

念入りなキャラ作りが功を奏して売れっ子に

相方から「そもそも愛がないヤツ」と言われてしまう渡部だが、彼は自分しか信じられない人生を送ってきたのではないだろうか。長い下積み生活の間にさまざまな資格を取り、自分の人生のすべての経験をタレント生活に役立ててきた男である。念入りにキャラを作り、それが徐々に時代にはまって売れっ子となっていった。

筆者は一度だけ、渡部氏を取材現場で見かけたことがある。昨年のラグビーワールドカップのPRイベントでのことだ。彼はとある有名なゆるキャラとすれ違ったとき、自らキャラクターに近づき、あれこれ話しかけたりハグをしたりして、報道陣にツーショットを撮らせた。共演する予定はなかったので、予定外の行動である。

キャラクターとふたりでさまざまなポーズをとってくれたのだが、こういう場合、取材側の立場でいえば「あのタレントはすごくサービス精神があるなあ」と感心するものだ。ところが筆者には微妙な違和感があった。なぜか渡部氏が楽しそうに見えなかったからだ。

キャラクターに接するとき、人は思わず本性が出るものだ。世間にはいい顔をしながら、カメラが回っていないところではキャラクターに冷たい有名人、政治家はたくさんいる。興味がないなら、最初から無関心でいればいいのだが、カメラが回っているところではつい、「キャラクターにもやさしい自分」を演じてしまうのだろう。