台湾総統も志村チルドレンの一人だった

志村さんの影響を受けたのは、一般人だけではない。

「タレントの陽帆は、志村さんの『ひとみばあさん』(台湾での表記は『瞳婆婆』)をそっくりコピーした『陽婆婆』のキャラクターでブレイクしましたし、胡瓜という芸名の超有名司会者は、志村さんへの尊敬の念を公言しています。志村さんが台湾を訪れたときに自身のバラエティー番組で共演したこともあり、細かいところにまで真剣にこだわる真面目な仕事ぶりに、改めて感銘を受けたそうです。彼の場合は外見的な真似はしていないのですが、女性共演者へのちょっかいの出し方の感じなんかが、志村さんそっくり。食事を共にしたこともあって、志村さんが台湾式に紹興酒へ干し梅を入れて飲んでいたのが印象的だったと語っています」

さらには志村さんの死去時、「志村けんさん、国境を超えて台湾人にたくさんの笑いと元気を届けてくれてありがとうございました。きっと天国でもたくさんの人を笑わせてくれることでしょう。ご冥福を心から祈ります」と日本語でツイートした蔡英文総統(63)も、間違いなく志村チルドレンの一人だという。

「彼女は親日派だし、世代的にも志村さんから笑いの洗礼をたっぷり受けているはずですからね。話題になったツイートに添えられた桜の写真は、ちょうど志村さんが亡くなった3月29日に関東で雪が降ったとき、私の知人でもある台湾紙の東京特派員が調布で撮影したものなんです。何枚か撮った写真のひとつを自分のフェイスブックに上げていたら、台湾政府筋から連絡があって提供の要請を受け、内容に一番ふさわしい別ショットを送ったそうです。ツイートの文面にしても、日本語で書かれたことを含め、蔡総統の個人的な強い思い入れがあふれていました」

台湾人たちがシビれた「志村大爆笑」

87年の戒厳令解除に続き、92年に日本の番組が解禁されると、台湾のテレビ局が正式に購入した『志村けんのだいじょうぶだぁ』(台湾名は「志村大爆笑」)などが放映されるようになった。それらは長年にわたって繰り返し再放送され、志村さんの人気をさらに強固なものにしていった。

そして『喜劇泰斗』(コメディーの第一人者)としての地位の総仕上げになったのが、00年代に放映された日本と台湾を結ぶ日本アジア航空(08年に日本航空が吸収合併)のCMシリーズだ。日台ハーフ俳優の金城武と共演したそれらは日本のみでの放送だったが、志村さんが台湾の魅力を伝えるCMに出演したことは現地でも大きな話題となり、ワイドショーなどで映像が流されたという。

「大スターの志村さんが台湾を紹介するCMに出てくれるだけでもうれしいのに、故宮博物院のようなありきたりで気取った名所ではなく、金城さんと二人で年代物の原付バイクやローカル列車に乗り、屋台のおじさんや行商のおばちゃんから胡椒餅とか釈迦頭(台湾の有名な果物)を買うといった、地元の庶民の暮らしを体験する設定に、台湾人はしびれたんです。撮影で使われた某ロケ地には、今でも志村さんと金城さんが写った当時の日本アジア航空の広告ポスターが張ってあるとか。『志村けんがここで撮影した』というのは、何よりのPRになりますからね」

最後に、ある余談をひとつ紹介して、結びとしたい。

「志村さんの死が発表された(亡くなったのは29日深夜)のと同じ3月30日、台湾の行政院長(首相に相当。国政の実質No.2)や国防部の参謀総長(日本の統合幕僚長に相当)を歴任した、高名な軍人・政治家の郝柏村氏が100歳で亡くなりました。ところが台湾メディアでの扱いは、志村さんの死のニュースのほうがはるかに大きかったんです。でもその差こそ、台湾の一般的な庶民感情の表れなんですよ」

もちろん郝氏の死去を受け、台湾総統府は公式な追悼声明を発表した。しかし、蔡英文総統自身は志村さんに対してしたように、郝氏への惜別メッセージをツイッターで綴ることはなかったのである。

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