医療は詰将棋のようなもの

見切り発車というのはネガティブな意味を含む言葉だけれど、真の意味で見切ってから発車しているわけで、この場合はそれほど悪いことではない。

確率をある程度見極めてから、「ある吸引薬が効くか、効かないか」という情報を探りに行っているのだ。高度で前向きな診療戦略である。

もっとも、医者側の意図を、患者が十分に共有していないときには、誤解が生じやすい。患者に「病気の正体がなかなかわからないから適当に治療を選んでいるのかな」と思われてしまっては申し訳ない。

医療者の説明が足りなくて、診療の意図がわかりづらいとき、患者の病気に対する不安は増大してしまうだろう。

このような病気を前にして、患者は何ができるか。何をすべきか。

まず、一度医者が出した薬が効かなかったときに、その医者をヤブ医者と認定して次の医者に行くというのはあまりいい選択ではない、ということを知っておいてほしい。医者は、この薬が効かなかったらこっちだなと、二の矢、三の矢を放つ準備をしている。

最初の薬が効かなかったという強力な情報を医者が手に入れることで、次の行動はより明確になる。それをしないで、医者を替えてしまうというのは、いかにももったいない。

三手詰めの詰め将棋で、二手目で将棋盤をひっくり返してしまうようなものだ。

「医者が見据えている未来は必ずしも一本道ではない」

「医療はときおり、少し長いスパンで治療を進めることがあるのだな」と、医療シアターの流れを俯瞰することも役に立つ。名医ならどんな病気にも一発で薬が効き、昨日までふらふらだった自分が明日にはすっかりよくなる、というのは夢物語だ。

診断が確定するまでに時間がかかるタイプの医療があると知るだけでも、精神的なストレスがだいぶ減るだろう。医者が最初に放つ矢に期待をかけたくなる気持ちは大変よくわかるが、医者が見据えている未来というのは、必ずしも一本道ではない。

百発百中の診断。瞬間的に終わる治療。これらはいずれも、患者が病院に強く期待しがちな「理想」である。医療者も、この理想ができるだけ叶えられるように日々努力はしているが、ことはそう簡単ではない。

何より、医療の本質がそのようにはできていない。

未来予測と行動選択というキーワードを考えてほしい。未来は複数予測したほうが勝率は高くなるに決まっているではないか。一本道の予測なんて、ギャンブルといっしょだ。危なっかしくてしょうがない。