▼黒田官兵衛
(1547~1604)竹中半兵衛と双璧をなす秀吉の軍師として知られ、秀吉の天下統一のために手腕を振るう。小田原征伐では北条氏政・氏直父子を小田原城に入って説得し、無血開城に成功。秀吉の天下統一を完成させた。

天才軍師に訪れた転機とは

ある日突然、孤独な境遇に追い込まれたら、あなたはどうしますか。

そんな境遇を語るうえで欠かすことができないのが、豊臣秀吉が天下人への道を大きく踏み出す第一歩となった中国大返しの立役者、黒田官兵衛です。

黒田官兵衛は、非常に賢く口がうまい人間で、小寺家に仕えていた頃には口先だけで、主君・小寺政職を織田家の傘下に入るよう説得したほどでした。

若くして頭角を現していた官兵衛は、自信家で自惚れがありましたが、その自惚れが官兵衛を窮地に招きます。

織田家司令官の荒木村重が謀反を起こしたときです。官兵衛は「自分の弁舌をもってすれば、この謀反もすぐに解決する」と交渉に向かいますが、話し合いは決裂。官兵衛は荒木方によって、牢獄に囚われることとなります。

いつ出られるかもわからない、今日処刑されるかもしれない牢獄のなかで官兵衛は否が応でも孤独と向き合うこととなりました。しかも、囚われた牢獄は、湿地帯近くの劣悪な環境で、これが原因となり官兵衛は皮膚病や、片足と目に障害を負うこととなりました。

常人であれば、武士らしく死のうとするでしょう。しかし、官兵衛は武器を取り上げられており、自刃もできない。ならば生き恥を晒してでも生き抜くと決意をしたのです。

生き残るため官兵衛は、牢番と交渉を行います。荒木村重のときのような言葉だけの交渉ではありません。誠心誠意の交流を行い、牢番を懐柔することができたのです。

これをきっかけに官兵衛は、駆け引きばかりを行ってきた自身を反省して、天下泰平のためには、何をすべきか考えるようになったのです。

その後、官兵衛は秀吉の軍師として、すぐれた手腕を発揮していきます。特に毛利家の拠点である備中高松城攻めで行った交渉は見事でした。

水攻めを行っている最中に、本能寺の変が起きたのです。

主君、秀吉に敵討ちを成し遂げてもらうため、急いで毛利家と和睦する必要がある。しかし、信長が討たれたことを知られれば、毛利が攻めてくるかもしれない。絶対に失敗が許されない状況下で、毛利家の外交僧・安国寺恵瓊と交渉を行いました。官兵衛は、牢番と行ったときのような真摯さを見せ、和睦を成立させました。見事中国大返しを成功させたのです。

官兵衛は、劣悪な牢獄のなかで孤独を受け入れ、真摯さという交渉の極意を手に入れました。牢獄のなかで自暴自棄となり、腐るのは簡単です。しかし、官兵衛が腐っていたら、後の豊臣政権は存在しませんでした。官兵衛の正しさは歴史が証明したといえます。

【官兵衛のここに学べ!】逆境は、新たな強さを身につける好機!