汚職や腐敗を「民主主義の風邪」と言っていいのか

朝日新聞の11月30日付の紙面で評伝を書いている。評伝の終わりに「元本社コラムニスト・早野透」とある。

読売評伝と大きく違うのは、中曽根氏の闇の部分も書いているところだ。

「自民党戦国史といわれた派閥抗争はなやかな時代、『風見鶏』とあだ名された世渡りのうまさを発揮し、ロッキード事件で児玉誉士夫との関係をとりざたされて傷を負いながらも、『闇将軍』田中角栄に支えながらついに首相となる」

「児玉誉士夫」とは、ロッキード事件のくだりで前述した大物フィクサーのことである。

「リクルート事件への関与でも世間を騒がせ、『汚職とか腐敗は民主主義の風邪のようなもの』という政治倫理を語っている」

沙鴎一歩は、中曽根氏のこの政治倫理にはついていけない。「国益のため国民のため」と偽って己の利益のために政治家としての地位を利用するから汚職や腐敗が生まれる。汚職や腐敗を監視するのが民主主義である。民主主義の風邪などと言ってごまかしてはならない。そう沙鴎一歩は考えているから、中曽根氏の政治倫理にはくみすることはできない。

死者にムチ打たずというのが、評伝を書くときの鉄則ではある。しかし、読売の橋本五郎特別編集員のように褒めちぎるだけでは、説得力に乏しく、評伝自体に深みがなくなる。

朝日がそうしたように、評伝では功罪の「罪」の部分にも触れるべきだと思う。

「政治家とは歴史という名の法廷で裁かれる被告である」

それでは社説はどうだろうか。

読売社説(11月30日付)も「戦後史に刻む『大統領的』首相」との見出しを付けて中曽根氏を褒める。

その中盤で「政権運営で特筆すべきは、「戦後政治の総決算」を掲げ、多くの改革を成し遂げたことだろう」と指摘し、その後に行財政改革、日米関係の改善、防衛力の強化、教育改革などでの功績を評価する。

読売社説も読売評伝も、「偏っている」と批判されても仕方がないだろう。

読売社説は最後まで中曽根氏の政治姿勢を評価する。

「初当選の頃から首相を目指し、政策やアイデアを大学ノートに書きつづった。これが政権構想の土台となった。確固とした信念を持ち、政策の実現を目指した」
「『政治家とは歴史という名の法廷で裁かれる被告である』が口癖だった。多くの議員にかみしめてもらいたい至言である」

「多くの議員にかみしめてもらいたい」という訴えは、分からなくもない。