ただ、その周囲から山本への反応に象徴されるように、2ちゃんねる設立からの15年間に、ネットが、「よく分からない若者の文化のひとつ」から「リアル社会にもかかわりの深い大事なインフラ」へと変貌したこと。それゆえに、「その場凌ぎとお茶を濁したような対応では逃げられるはずもなく」なった〈ひろゆき〉が時流から取り残されるのは、当然だと述べます(*15)

〈ひろゆき〉は、「ロジカルに生きる」スタイルへこだわる「ナナロク世代」のエンジニアとして、他人のアイディアを「暇つぶし」として食いつぶしてきたのです。

加えて、「とりあえずは決められたルールの中で、対処するしかない」とのたまい、のらりくらりとネットの海を自由に泳いできました。「周りに敵を作りやすい」点を自覚しつつ、「2ちゃんねるを捨てた」等と、巧妙に言い逃れをしてきました。まさしく愉快犯的に、しかし、活字上での社会的発言をしながら、生き延びてきました。

成功体験は良くも悪くも人を変える

その〈ひろゆき〉が、2ちゃんねるにもニコニコ動画にも居場所を失います。自らが被告人となっていた時分は出廷すらしなかった民事訴訟を自分から起こします。しかも、「もともと暇だから、面白そうだからと作ったものが、2ちゃんねるであって、それ以外の動機は存在しません」とうそぶいていた2ちゃんねるを取り戻そうと訴訟を起こします。

鈴木洋仁『「ことば」の平成論 天皇、広告、ITをめぐる私社会学』(光文社新書)

訴訟の動機は明らかにされていません。ただ、山本一郎は、「成功体験は良くも悪くも、人間を変える」から「カネが惜しい」と思ったのではないか、と推測しています(*16)。「カネを儲けて幸せになった人を見たことがないんですよ。逆にカネはなくても楽しそうな人はいっぱいいるけど」(*17)とあざわらっていた以上、よもや金銭面が理由ではないでしょう。

「年収は日本の人口よりちょっと多いくらい」(*18)と言い放ち、「そもそもお金を使わないから困らない」(*19)と豪語していた以上、もし山本が言うように「カネが惜しい」と思ったのだとすれば、〈ひろゆき〉は変わってしまったのかもしれません。

(*15)山本一郎「偉大なるワンマン 西村博之」『WiLL』2015年3月号、308p
(*16)山本一郎、同上、307p
(*17)「『30歳からのドリカムプラン』構築術」『SPA!』2001年10月3日号、51p
(*18)『FLASH』2007年2月13日号、30p
(*19)ひろゆき『僕が2ちゃんねるを捨てた理由 ネットビジネス現実論』扶桑社新書、2009年、243p

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