「これも知らないの? 読んでから出直して来い!」

「ロイター通信では、英文で金融経済記事を書く部門に配属されました。当時は、幸田真音さんの経済小説『日本国債』がベストセラーで、はたから見れば、債券や為替を取材する私は『花形』に見えたでしょう。でも実態は、経済金融知識がゼロの駆け出し記者。お恥ずかしい話ですが、『円高? 円安? 金利はどうやって動くの?』というレベルから勉強を始め、取材では山ほど恥をかきました。財務省に取材に行けば『こんなのも知らないの? これ読んでから出直して来い!』と門前払い。記者の先輩たちに聞きたくても、1秒を争って速報する現場では、邪魔者扱い。教えてもらっている時に、イライラして机をバーンとたたかれたこともありました」

そこで休日返上で猛勉強し、数年後にはスクープを出せるほどになった。ようやく一人前となった林原さんにまたとないチャンスが巡ってくる。取材先だった外資系投資銀行のリーマン・ブラザーズから、「広報の社員としてウチへ来てくれないか」との打診があったのだ。34歳の時である。

ライブドア事件でたったひとりで毎日100本近くの苦情対応

「ロイターでの仕事にはやりがいを感じていました。ただ、投資銀行という憧れの業界に興味がありましたし、違う世界の風景を見てみたい、という好奇心もあり、リーマンのお世話になろうと決めました。もっとも、その後、半端ない苦境が待っていたわけですが……」

記者から広報への転身は、取材する側から取材される側へと、真逆の立場になる。自分の発言ひとつひとつに責任がかかっているため、頭を使う。

「ロイターで経済の勉強を懸命にしましたが、話を聞いて記事を書く仕事と、切った張ったの投資銀行では仕事の次元がまったく異なりました。新しいカルチャーや仕事のリテラシーを身につけるために、そのときも休日返上で金融のイロハを学びました」

そんな多忙な日々を送っていた時、「ライブドア事件」(2006年)に巻き込まれることになった。

リーマン・ブラザーズは、ライブドアにニッポン放送の買収資金を工面したことで、世間から厳しい目を向けられていた。その批判の声を受け止めるのは、広報部に一人しかいない「日本メディア担当」の林原さんだった。メディアや株主、顧客らから毎日100本近くの問い合わせにさらされた。

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しかもその渦中、思いがけず妊娠が発覚する。

「まさかこんなときに妊娠したなんて言い出せませんでした。しかも上司のアメリカ人女性は、業界ではハラスメント体質で知られた人でしたから、協力的なわけはなく、つわりで苦しいときでも何でもないような顔して電話対応をしていました。妊娠7カ月目になっておなかが膨れていても、長めのスカーフを巻いておなかを隠し、なんとかやり過ごしていました。でも、検診でとうとう『赤ちゃんの体重が全然増えないから今すぐ産休に入りなさい』と言われてしまって……」