ヤンキーと2泊3日の家出で補導され、陰では猛勉強する中学時代

ところが一転、中学生になって帰国して愛知県内の公立中学校に戻ると、まるで「軍隊」のような学校生活が待っていた。今思えば、この時期が林原さんの人生の中で1回目の転機だったという。

撮影=堀 隆弘

「その中学は、地方の小さな町にあって、いまだかつて転校生を迎えたことがほとんどない“鎖国状態”。ただでさえ窮屈な校則に押しつぶされそうなのに、私は帰国子女ゆえに何をやっても目立ってしまい、相当嫌がらせやイジメを受けました。自宅から延々と続くブドウ畑を歩き、やっと学校に着いたと思ったら、上履きに砂が盛り込まれていたり、1980年代に流行っていた小泉今日子の髪型を真似て刈り上げにしたら、ツッパリに『その刈り上げはなんだ!』とトイレに呼び出されて小突かれたり、自宅の石垣にスプレーで落書きされたこともありました」

当時は、「横浜銀蠅」というリーゼントに革ジャンスタイルのロックバンドや、非行少女を描いたドラマ「積木くずし」が大ブーム。林原さんが通った公立中学でもヤンキーは花盛りで、「卒業式には学校中の窓ガラスが割られるのが伝統」だったそうだ。

面白いのは、そんな環境に戸惑いつつも林原さんがその世界に新鮮さを覚えていくということだ。男子はリーゼントヘアで革ジャンに白い“ドカン”姿。女子は金髪で眉毛がなく、くるぶし丈のロングスカートで闊歩。「人類学的に研究材料としたいくらい」と興味がわき、女子ヤンキーたちと“お近づき”になっていったのだ。

「結局、みな家庭の事情など理由があってヤンキーをやっているんですよね。そこに共感した部分もありますし、ものすごいエネルギーを持っている人もいた。彼女たちのことをもっと知りたいと思っているうちに、自然と距離が縮まっていきました。その流れで、一緒に2泊3日の家出をして名古屋駅前で警察に補導されたこともありますね。女子ヤンキーとつるんでいると、その手下のような生徒からの嫌がらせが激減しました」

ヤンキーとつるんでもグレなかったワケ

こうしたケースでは、そのままヤンキーの道へ足を踏み入れ、グレてしまう人も多いが、林原さんは「付き合い」をしない時は、家で猛勉強したという。

「『こんな田舎から抜け出してやる!』という一心で、読書と勉強に明け暮れました。『名古屋の中心地にある進学高校に入れば、この閉塞感から抜け出せる。勉強して成功するしかない』と思ったんです」

ただ、担任の先生からは「お前は絶対受からない」と言われた。その言葉でますます闘争心に火がつき、悲願だった「都会」の有名進学校にリベンジ合格した。これが「逆境は努力次第で抜け出せられる」ことが証明された、人生で最初の成功体験だった。

「この時に培った反骨心が、その後の人生で軸となっていったんだと思います」