帰国してiPhoneを売る

【三木】スマホの普及を肌で感じたことですかね。若い人がみんなスマホを触っていて、これは日本もすぐにそうなるなと。自分も何か動かないといけないと思って、帰国してiPhoneを売ることにしました。

三木健司●1990年、兵庫県生まれ。高校卒業後、単身で渡米。現地で見たiPhoneに可能性を感じ、日本でソフトバンクの代理店を展開。その後会社を売却し、世界に通用する事業をつくろうと海外を渡航。2014年にタビナカを設立。

【田原】売るって、販売代理店?

【三木】関西が地元なので、まず大阪の販売代理店に入社しました。営業マンが50人くらいの会社でしたが、1カ月でいきなり僕が売り上げ1位になりまして。しかも、2位の人とは4倍くらいの差があった。これならいけると思って、翌月にはもう個人で販売をしていました。

【田原】いきなり1位って、どうしてそんなに売れたの?

【三木】営業というものに対して固定観念がなかったんですよね。ほかの営業マンはお客様と一対一で営業をかけていましたが、僕は1回で4人くらい集めてまとめて営業をしていました。アポの数も、平気で1日に15件ほど入れたりしていた。業界の常識というものに縛られずにやったからですかね。

【田原】独立して店を持たれる。

【三木】最初は訪問販売で1人でやって、月200台近く売りました。それから人を巻き込んで、九州や名古屋でも展開していきました。

【田原】人を巻き込むって?

【三木】学生に売ろうと、いろんな大学のサークルのリーダーに声をかけました。ツイッターでキーパーソンを探してアプローチしました。たとえば同志社大も京大も1学年で3000人以上います。そのネットワークにつながって広げられたら、大きなビジネスになるなと。実際、半年で4億円近い売り上げになりました。

【田原】当時まだ10代ですよね。億はすごい。そのビジネスをどれくらい続けたの?

【三木】3~4年やったかな。それと並行して、飲食店の空いている時間を活用して「街バル」や「街コン」といったイベントを開いたりしていました。これも各都市でつながったネットワークが役に立ちましたね。

【田原】それから?

【三木】21歳のときにビジネスを整理して、一部を売却しました。それでもうサラリーマンの生涯年収分くらいは稼いでしまった。じゃあ次に何をしようかと考えて、思い至ったのが旅行でした。スマホをたくさん売る中で、生活がスマホで便利になるさまを間近で見てきました。テクノロジーの力で変わっていく世の中を肌で感じるために、とりあえず世界中のいろんなところに行ってみようかなと。

【田原】資料によると、タイで大変な事件に巻き込まれたそうですね。

【三木】プーケット行きのバスで強盗に遭いました。山奥で急に僕だけ無理やり降ろされて、別のバンに乗り換えさせられました。僕はバックパックじゃなくてキャリーバッグで移動していたので、お金がありそうに見えたんでしょうね。一応プーケットまで運んでくれましたが、僕の荷物を載せたまま走り去ってしまって。

【田原】プーケットで降ろされたときは無一文でパスポートもなし?