昨年7月、オウム真理教の教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)ら13人の死刑が執行された。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「伝統的な仏教が『心の受け皿』になる覚悟をもたなければ、オウムのようなカルト宗教が再び勢力を伸ばす可能性がある」と警鐘を鳴らす――。
オウム真理教の松本死刑囚ら7人死刑執行=2018年7月6日(写真=AP/アフロ)

麻原彰晃ら13人の死刑執行から1年がたった

オウム真理教の教祖・麻原彰晃と12人の出家信者の死刑が執行されて、まもなく1年がたつ。死刑執行の一報を、私は移動中の車内で知り、にわかに心臓が高鳴ったことを思い出す。とくに井上嘉浩元死刑囚は世代も近く、彼の実家は私の寺から歩いていけるほどの距離にある。同郷の人間として、車のハンドルを握りながら、心の中で静かに手を合わせた。

私は当時20歳の大学生で、テレビ局の報道センターでアシスタントディレクターをしていた。1995年3月20日朝、地下鉄サリン事件が勃発すると、それから半年ほどの間、昼夜を問わずオウム事件の取材や、スタジオ進行などに忙殺されることになる。サリン散布現場はもちろん教団施設、殺害された坂本堤弁護士関連の地など様々な現場を、社会部記者とともに駆け回った。

上祐史浩氏(現ひかりの輪代表)が会見を開いて「ああ言えば上祐」と言われた時も、村井秀夫が刺殺された時も、坂本堤弁護士一家の遺体が見つかった時も、麻原彰晃が逮捕された時も、私はその報道に少なからず関わっていた。その後は新聞社に入社し、社会部記者としてオウム裁判を継続的に取材した。取材記者として長年オウム報道に関わったから、昨年の死刑執行に特別な思いを抱いたかといえば、そうは単純ではない。

「私は当時彼らと“パラレルワールド“にいた」

じつは私は、彼らとは“パラレルワールド“にいたと思っている。

事件当時、私もまた「出家修行者」だったからだ。都内の大学に通いながら、実家の寺を継ぐための僧侶資格を得るため、3年4期にわたる浄土宗の修行道場に入った。夏休みや冬休みを利用して、知恩院や増上寺などで行に励んだ。

私も仏教の出家修行者であり、彼らも仏教の出家修行者。違いといえば、伝統的な仏教教団に所属しているか、新宗教のカルト教団の信者か。修行の手法が、伝統的作法や教義に則ったものか、麻原教祖が考案したものか。客観的にみれば私も彼らも、さほど変わりはなかったかもしれない。

「修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ……」

教祖・麻原がこう連呼すると、ヘッドギアをつけた信者が、トランス状態になって空中浮揚の真似事をする。オウムの出家信者は、「アーナンダ(井上嘉浩元死刑囚)」「アングリマーラ(岡崎一明元死刑囚)」など、お釈迦様の弟子名(ホーリーネーム)を与えられ、仏教徒を名乗った。

オウム事件が明るみになるや「出家」「修行」「ヨガ」「瞑想」などオウム真理教が取り入れたものは、一概に怪しいものとされ、世間から厳しい目を向けられた。全国にあったヨガ教室はオウム事件をきっかけに、ほぼ消滅した。私も修行を終えて、丸坊主姿で街に出たとき、社会の目線が過剰に気になり、ずっと俯き加減で歩いた記憶がある。