「過去」を否定しブランドを統一

首都圏への出店が続いた84年、会社で東京・小石川にマンションの一室を買い、東京営業所とした。出張者らが泊まることもできた。ときに自分も一緒に泊まり、一杯やりながら、社員たちと話す。何かを始める前に、いろいろなことを言ってみて、反応をみた。わざと両極端のことを示し、そこから一本にしぼっていくこともした。40代の最後に挑戦した東京周辺に工場を建設する構想も、その一つだった。

神戸から総菜を運ぶトラックが、冬になると、東名高速の米原付近で積雪のために立ち往生し、首都圏の店に品が遅れる日が出る。それを解消したかった。社員たちは構想を聞いて「夢物語」と思ったかもしれない。バブルで地価が高騰し、都内にはつくれなかったが、91年5月に浜名湖から近い静岡県豊岡村(現・磐田市)に工場ができた。投資額は60億円弱。売上高がようやく100億円に達したころだ。資金は、大阪証券取引所に上場し、株式の売り出しで得て賄った。

「徳不孤、必有鄰」(徳は孤ならず、必ず隣あり)――『論語』にある言葉で、全体のことを考えて立派な行為をするような人は、必ず共鳴者が現れ、孤立しない。仮に孤立したとしても、それは一時的なものにすぎない、と説く。過去を否定して新しいことに挑む岩田流に、かつて、それまでの努力をすべて否定されたと思って去っていく人が続いた。でも、様々な場面でトップの思いに触れ、それに共鳴していった数のほうが、ずっと多い。「必有鄰」だ。

静岡工場の建設に続き、大きな決断をした。「RF1」へのブランド統一だ。デパ地下への進出では、どのデパートも独自ブランドにするように求めた。結果、品揃えは同じなのに「ガストロノミ」を含めて五つもブランドがあった。それでは客への訴求力が分散し、ブランド力が高まらない。92年、統合を決める。デパート側は反対したが、実績から力関係で負けなくなっていた。

「RF1」は、ロック・フィールドの頭文字に自動車レースの「F1」を組み合わせた。F1は、世界で最高の技術とドライバーの腕を競い合う。総菜産業でトップの座を目指す意気込みを込めた。その先には、高級デリカから「サラダ」へのシフトがあった。このとき、サラダのメニューはまだ4つ。それが、いま50種類にのぼり、売上高の過半を稼ぐ。また、過去を否定した。

神戸は、95年1月、阪神淡路大震災に見舞われた。その後、神戸経済同友会の代表幹事や神戸商工会議所の副会頭を歴任する。少数派に、財界活動は似合わない。でも、神戸は「恩人」だ。復興に力を尽くす。その分、新事業を考え、社員たちの反応をみる時間が減った。いま、すぐに挑戦する計画はない。ただ、来年は創立40周年。その年から、5年間の新しい経営計画が始まる。

6年前、「いとはん」という店を出した。「日本のさらだ」として、和風のコンセプトを打ち出し、刺し身もサラダにしている。その「いとはん」を「糸」と「半」と書き、一つにすれば「絆」となる。次号で触れるが、40周年後の道筋は、その「絆」がキーワードになりそうだ。

昨年暮れ、あるデパートの社長に言われた。「今日のデパ地下は、あんたがすごく貢献した。これからのデパ地下に、もっと、あんたが必要になる」。相手が係長だったころから、38年に及ぶ付き合いだ。その人の言葉は、自分にとって「勲章」だ。新たな勇気をもらった。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)