教員を精神的に追い込む不安定な採用システム

待遇面に加えて、不安定な採用システムが、教員を精神的に追い込む。3月の修了式の時点で、次の勤務先はおろか、4月から臨時教員として引き続き働けるかどうかもわからないのだ。

各県で異なるかもしれないが、Aさんが経験した採用の流れは次のようになる。3月上旬、次の職場がある場合は1回目の通知がくる。人事異動発表後、2回目の通知で勤務予定の学校を知らされるが、自分から学校には連絡しないように、とくぎをさされる。

4月に入って学校長から連絡があり、4月2日(その後、1日付け採用となる)から働けると言われた場合は勤務が確定になる。ところが、そうはならないケースもある。

学校によっては、始業式まで人数が確定せず、予定より少なかった場合はクラスを減らす「危険学級」が設定される。勤務する可能性のある講師は始業式の日に呼ばれ、校長室で待機する。無事、人数がそろえば、その場で採用となるのだ。

何年働きつづけても給料は月額約24万円のまま

ところが、当日校長室で待機していたのに、児童数がそろわずに不採用になったという人も出てくる。Aさん自身は経験していないが、不採用になった知人は教員の道を諦め、他の仕事に就いたという。

何年か講師をやっていればそのうち正採用になるだろう、とまわりからは言われるものの、いつまでたっても身分は不安定のまま。さらに、この理不尽さは年数がたつにつれてひどくなるということが、後からわかってきた。

講師にも昇給はあったが、それが8年で止まるとAさんが知ったのは、昇給が止まる直前だった。N県の場合、講師の給料の上限は月額約24万円。扶養手当もつかない。正式に採用されなければ、この先何年働きつづけても給料はこの金額のままだ。

昇給が止まったとき、Aさんは39歳目前だった。当時のN県では前述の通り、40歳未満、つまり39歳までしか採用試験を受けられない。当時、Aさんの子どもは、上の子が中学2年生で、一番下の子はまだ4歳。これから子どもたちにお金がかかることも目に見えている。何としても正規教員になりたかった。

しかし、採用試験は常に狭き門で、Aさんは最後のチャンスをものにできなかった。結果は不合格だった。