古人は、世の無常を私たちよりもずっと強く意識していた

道長のこの和歌は、小学校6年の社会科で習ったはずだ。その時には、きっと道長の驕り高ぶった様子を表している、と教わったことだろう。世の中はすべて自分の思いのままで、満月のように何も足りないものはない。この和歌からは道長の悦に入る様子がうかがえるのだと、私は、確かにそのように教わった。道長の三人の娘たち(彰子、妍子、威子)が、一条天皇、三条天皇、後一条天皇の后(きさき)になり、権勢が揺るぎないものになったことを誇示したものだ、と多くの書籍にも書かれている。

しかし、大人になって、あれやこれやとものを考え、学者の端くれとなったいまでは、私には、どうにもこの定説は、現代人の心が古人の心と遠く離れてしまい、何かを見失った現れのように感じられる。

これまで述べてきたように、古人は、世の無常を私たちよりもずっと強く意識していたように思う。いまよりもはるかに一生が短かったことは、諸行無常をまざまざと実感させたはずだ。そうした時代に生きた道長が、自分の権勢を欠け行く満月にたとえ、傲慢な態度で悦に入るという解釈は、どうにも釈然としないのだ。

当夜は「十六夜(いざよい)」で、満月は欠け始めていた

平安時代の貴族の生活や思想は、陰陽道の影響を強く受けていた。道長の日記『御堂関白記』にも、道長や一条天皇が陰陽道に信頼を寄せている様が記されている。そんな道長が、陰陽の、盛者必衰の理を無視するような和歌を詠むとは、私にはどうしても思えないのだ。さらに言えば、この和歌は、10月16日、三女の威子が後一条天皇の后になった夜に詠まれたのだが、この夜の月は十六夜(いざよい)で、もう満月は欠け始めていたのである。

長らく定説に不満を募らせていたこともあって、たまたま目にした、平安朝文学研究者である山本淳子氏の新説は、私にはとても魅力的に思えた。詳しい解説は、彼女の論文(「藤原道長の和歌「この世をば」新釈の試み」:「国語国文 87巻8号」)を読んでいただくとして、ここでは、山本氏による新訳を紹介しておきたい。

「今夜のこの世を、心ゆく我が満足の時と感じるよ。空の月は十六夜で欠けているが、私にとっては望月が欠けていることもないと思うと。なぜならば、私の月は后である娘たちだからだ。三后の地位をすべて占めて、欠けたところがないではないか。それに、私の月は皆と円満に交わしたこの盃。これまた丸くて、欠けたところがないではないか。どうだ、どちらも望月だろ?」

藤原実資日記によれば、道長の和歌は、その場にいた皆で唱和したのだそうだ。三人の娘たちが三后となったことを喜び、酒席を共にする貴族たちとの円満な関係に満足する様子は、驕り高ぶる道長のイメージとは、随分異なったもののように思える。