なぜ今回のW杯はロシアで開催されたのか。開催権獲得の裏には、ありとあらゆる不正な取引が行われていた。その背後にいたのは、ロシアの億万長者で、英チェルシーFCオーナーのアブラモヴィッチと、プーチン大統領だ。FIFA(国際サッカー連盟)の腐敗について、米国人ジャーナリストがリポートする――。

※本稿は、ケン・ベンシンガー『レッドカード 汚職のワールドカップ』(早川書房)の一部を再編集したものです。

2018年6月13日、国際サッカー連盟(FIFA)総会で、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(右)に謝意を示すジャンニ・インファンティノ会長(写真=時事通信フォト)

W杯開催地の本命は「イングランド」だった

2018年と2022年のワールドカップ開催地を決定する理事会は、2012年12月2日にチューリッヒでおこなわれる予定だった。投票まで残り6カ月を切り、ヨハネスブルグで開かれる北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)会議は、売りこみの絶好のチャンスと見られていた。

候補国の一角のイングランドで最後にワールドカップが開催されたのは1966年。現地の熱烈なサッカーファンは、ふたたびその機会を得ることを心から願っていた。2012年にはロンドンでオリンピックが開催されるため、英国政府は自国でワールドカップが開催されれば、50億ドル近い景気浮揚効果が見こめると予測した。また、その社会的・心理的価値も計り知れない。サッカーファンがすぐさま指摘したように、なんと言ってもサッカーが誕生した国なのだ。

イングランドの競合相手は多かった。ベルギーとオランダは二国共同開催を掲げて招致競争に参入した。スペインとポルトガルも同様に共同開催をめざしていた。そして最も手ごわい競争相手はまちがいなくロシアだった。

18カ月前に2014年の冬季オリンピック開催権を勝ちとったばかりのロシアは、原油や天然資源の記録的高値を背景に、この10年でめざましい経済成長を遂げてきた。

ロシア、とりわけその指導者であるウラジーミル・プーチンは、この急成長を追い風に、長いあいだ返上していた世界の大国としての役割を取りもどそうと躍起になっていた。世界じゅうの何億という人々の注目を集めるワールドカップの開催権を得れば、まちがいなくその役割に復帰し、国力と安定を効果的に示すことができる。そして何よりも重要なことだが、ロシア国民のいだくプーチンのイメージも大幅にアップするはずだ。プーチンには投票で負けることなど考えられなかった。

ロシアのプレゼンはお粗末で、輝きと魅力を欠いていた

公正さ、そしておそらくは代表たちの短い集中力を考慮し、CONCACAFは各招致団にプレゼンテーションの時間を12分ずつ与えた。

ロシアサッカー連盟の事務局長アレクセイ・ソローキン率いるロシア招致団が最初にプレゼンをしたが、出来栄えはぱっとしなかった。

まず、ロシアの代表チームは、11月に格下のスロヴェニアに屈辱的な敗北を喫し、2010年のワールドカップ出場権を逃していた。スロヴェニアは総人口がシベリアのノヴォシビルスクの人口をわずかにうわまわる程度の小国である。

また、ロシアのプレゼンはお粗末にもパワーポイントの不具合に見舞われ、ソローキンのスピーチの最中に三度も動かなくなった。整った顔立ちの上品なソローキンは、アメリカ風の流暢な英語とこぼれるような笑みが印象的で、自信にあふれていた。しかし、エカテリンブルクなど、遠方の地味な都市にスポットをあてた売りこみは、輝きと魅力を欠いていた。主にカリブ海諸国や中米の理事からなる聴衆は、あからさまに退屈していたとは言わないまでも、心を動かされたようには見えなかった。

これとは対照的に、イングランドの招致団の出来栄えは見事だった。愛想がよく、隙のない服装に身を固めたデイヴィッド・ディーンは、ロンドンのクラブチーム、アーセナルの元副会長である。威厳ある顔立ちで上流階級育ちの英語を話し、金持ちで優しいこんなおじさんがほしい、とだれもが思うような見た目と声をしている。