そしてようやく、博覧会が終わりに近づくと、アブラモヴィッチはスイス出身のFIFA会長、ゼップ・ブラッターと連れ立ってホールから歩み去った。ベッカムに注目が集まるなか、静かに会場を去るふたりに気づいた者はほとんどいなかった。

崇拝の念を勝ちとる決め手は、あからさまな利益供与だった

博覧会に先立ち、ブラッターはFIFAの全メンバーの前で、2010年までの4年間で記録的な収益をあげたことを誇らしげに報告した。FIFAの銀行口座に10億ドルの預金があると告げ、もったいぶった口調で、各国の連盟にボーナスとして25万ドル、さらに各大陸連盟に250万ドルを分配すると約束した。ブラッターが──国連総会より大所帯である──FIFAの207の加盟メンバーの多くから崇拝の念を勝ちとる決め手となったのは、このあからさまな利益供与だった。

会議終了後の記者会見で、ブラッターは四期目をめざしてFIFAの会長に立候補するつもりだと宣言し、「われらはつぎの世代のために働く」と、意図的にウィンストン・チャーチルのことばを言い換えた。

会長に就任して12年、それ以前に17年間事務局長をつとめたブラッターは、FIFAのように豊かで多様で非情な組織で勢力を保つための費用を熟知していた。世界で最も人気のあるスポーツを運営する巧妙なやり口をだれよりも知りつくし、長年にわたってマキャベリ式の取引や計らいの多くに関与してきたのだ。

柄にもなくおどけたロシアの億万長者と禿げかかった小柄なFIFA会長は、小声の会話に没頭した様子でエスカレーターに乗り、コンベンションセンターの二階にあがっていった。それから、ふたりの大物は部外者立ち入り禁止の会議室にそっとはいりこみ、静かにドアを閉めた。

ロシアの裏を知り尽くすスパイ

世界の大半がワールドカップ南アフリカ大会のドラマと激闘に夢中になっているとき、西ロンドンの高級なベルグレーヴィア地区では、元スパイのクリストファー・スティールが、19世紀の建物の三階にあるすっきりしたオフィスで、別の問題を熟考していた。

ケンブリッジ大学を卒業したスティールは、1990年代のはじめの数年間、正体を隠してモスクワで暮らし、2000年代の中ごろに、ロンドンにある秘密情報部(MI6)のロシア担当上級職に就いた。2006年に放射性物質ポロニウムの摂取によって謎の死を遂げたロシアの元スパイ、アレクサンドル・リトヴィネンコの事件捜査で重要な役割を果たし、ウラジーミル・プーチンが殺害を承認していたと断定するに至った。