「人道主義」がなぜ「左翼」とイコールなのか

古谷経衡『女政治家の通信簿』(小学館新書)

試しに前掲書を読むと、杉田の言う「左翼」とは、日本共産党、中国、韓国、既存の大手マスメディア(NHK、朝日新聞、毎日新聞、TBSなど)、国際連合、はてはLGBTへと対象を広げ、これらをひとくくりにして「人道主義」として「左翼」と定義し、批判の対象としているのである。

普通、「左翼」とは、人間の理知や理性に無謬が無く、過去から未来に向かって急進的かつ計画的に社会が進歩し得ること(進歩史観)を信じる価値観を指す。

その意味で日本共産党は冷戦時代が終わってしばらくまで、政治用語的に「革新」と定義されてきた。が、天賦人権を肯定するものとして、「保革」の区別無く近代以降是認されてきた「人道主義」がなぜ「左翼」とイコールなのかの説明は一切無い。杉田は漠然とこれらの勢力や国家や組織を「左翼」と定義しているが、つまりは自身の道徳観や世界観と相容れず、嫌悪するに値するものを一括して「左翼」と称しているだけで、その呼称も「反日左翼」とか「サヨク」などと移ろいでいる。

「左翼」「革新」「保守」を理解していないのではないか

私は杉田を批判しているのでは無い。杉田の熱心な支持層であるネット右翼の間にある「左翼」像と杉田の想定する「左翼」像が、ほとんど同じものであるだろうことを指摘しているに過ぎない。「左翼」の定義がこのように曖昧であると、対置される「保守」の方への認識もおそらく推して知るべしであろう。

「保守」とは本来、人間の不確実性・不完全性を認識しつつ、であるからこそ歴史的経験や慣習に照らし合わせて漸次的に社会を改良する価値観を指す。そのような意味では「保守」とか「保守主義」とは、中国や韓国、朝日新聞やLGBTへの嫌悪とは全く関係の無い立ち位置なのだが、ネット右翼のほとんどがそうであるように、杉田自身が「左翼」も「革新」も「保守」も、その本質をよく理解していないのではないかと疑いたくなるのである。

日本軍の従軍慰安婦問題に積極的に関与

さて、代議士で無くなった浪人中の杉田の動静を注視していた私は、杉田がこのまま女性活動家として各方面で定着し、議員に復帰するつもりはないのだろうと踏んでいた。というのも杉田は落選してから、元女性代議士として日本軍の従軍慰安婦問題に積極的に関与しており、「日本軍による(慰安婦の)強制連行は無かった」「(慰安婦が)性奴隷であったという事実は無かった」というオピニオンを、国内のみならず海外に向かって積極的に発信する活動をやり始めたからである。

ちなみに従軍慰安婦問題については、男性側が「無かった」というよりも、女性側が「無かった」として同性が同性への陵辱を否定することが保守界隈の傾向として強い。確かに、一般的に性暴力の加害者である男性が従軍慰安婦の強制性を否定するよりかは、被害者である女性がその強制性を否定する方が、「なんとなく」説得力があるかのように思える。