神道の信仰が背景にあるようには思えない

ここで、「天皇の信仰」と言ったとき、多くの人たちは、あるいは、ほとんどの人たちは、それは神道の信仰であると考えるであろう。

実際、皇居には、宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)が設けられ、皇室の祖とされる皇祖神(こうそしん)、天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめさまざまな神々が祀(まつ)られている。そして天皇は、宮中三殿で祭祀(さいし)が行われる際には、神々を祀る祭司(さいし)の役割を果たしてきた。そうである以上、天皇の信仰は神道である。そのように考えるのは自然である。

しかし、天皇の言動をもとに考えるならば、とくに象徴としての行為については、神道の信仰が背景にあるようには思えない。むしろそこには仏教の信仰がかかわっている。長年日本の宗教について研究してきた筆者には、どうしてもそのように思えるのだ。

仏教には、人々を救済するための「菩薩行(ぼさつぎょう)」という考え方がある。被災地や戦地を、ときに危険な目にあいつつも訪れる行為は、この菩薩行と結びつけて考えた方が理解がしやすいのではないだろうか。

代々天皇の信仰の中心にあったのは仏教

もちろん、これまで天皇が、自らの信仰は仏教であると公言したことはない。それをほのめかしたこともない。宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)にかんしては、昭和天皇(在位1926~89年)も相当に熱心であったと言われ、その点は現在の天皇も受け継いでいる。神を祀るということを怠らない。それは、2代にわたる天皇が強く心掛けてきたことである。

だが、天皇と仏教との関係は深い。その関係がいかなるものかは、本書においてこれから明らかになっていくはずだが、明治に入るまで、天皇の信仰の中心にあったのは仏教にほかならない。神道もそこにはかかわっていたが、かかわり方は仏教と神道では相当に違った。

それも、神道と仏教とでは、その宗教としての性格に大きな違いがあるからである。神道が外面的で形式的な部分が強いのに対して、仏教は、それを信仰する人間の内面に深くかかわっている。内面にかかわるということは、その人物の行動を強く規定するということである。