福島県南相馬市の事例をご紹介したい。今年8月末、南相馬市の大町病院から常勤の内科医がいなくなってしまった。大町病院は南相馬に4つしかない一般病院の1つだ。ここが機能を失うと、南相馬市だけでなく相双地区の医療が崩壊する。緊急事態だ。

「誰もいかないなら、私がいきます」

相双地区は福島第一原発事故で大きな被害を受けた。国家が相応の責任を負うべき地域である。医師不足への対応では、厚労省は、医師免許をもつ厚労官僚である医系技官の赴任や、国立病院機構やナショナルセンターの医師の出向といった手段をとれる。前出の邊見氏も、日本の医療界のリーダーと自負するなら、全国自治体病院協議会の場で支援を議論したり、その幅広い交友関係で支援を仲介したりすることもできたはずだ。ところが、彼らは何もしなかった。

山本佳奈医師。大町病院内科外来にて。

結局、大町病院の内科の穴を埋めたのは、医師になって3年目という南相馬市立総合病院の山本佳奈医師だった。「誰もいかないなら、私がいきます」と及川友好・南相馬市立総合病院院長に志願した。

彼女は滋賀県出身で、大阪の四天王寺高校から滋賀医大へと進んだ。私は彼女が大学に在学していたとき、東大医科研の研究室で知己を得た。卒業後は南相馬市立総合病院で初期研修を行った。

滋賀医大在学中から、彼女は産科志望だった。大学に入局せず、南相馬にとどまりながら、産科医になることを希望した。ところが、彼女のような「異端児」を、南相馬市の桜井勝延市長、南相馬市立総合病院に福島県立医大から出向している産科医、さらに福島県立医大の産婦人科医局がいじめ倒した。詳細は拙稿をご覧いただきたい。(JBPress「日本の医療崩壊を救った若き女性医師」)。

「余計な軋轢」を起こす彼女は迷惑な存在

福島医大における既得権を守りたい彼らにとって、山本医師のような存在は受け入れがたかったのだろう。一方、南相馬市や福島県などの行政は福島医大に対応を丸投げした。余計な軋轢を起こす彼女は迷惑な存在だ。そこに医療を受ける住民の目線はない。

追い込まれた彼女を2人の医師が救った。1人目は竹之下誠一・福島県立医大理事長だ。竹之下理事長は、桜井・南相馬市長に、福島医大として彼女を支援することを伝えた。南相馬市は福島県立医大以外に医師招聘のルートがない。桜井市長も、竹之下理事長の意向は無視できない。

余談だが、竹之下氏は鹿児島の鶴丸高校から群馬大学に進んだ外科医だ。群馬大学の関係者に聞くと「腹腔鏡事故を起こしたグループとの抗争に敗れ、福島に移っていった。そして、そこで実績をあげた」という。苦労が彼を育てたのだろう。今年、外様の竹之下氏が福島医大の理事長に就任し、福島の医療は変わりつつある。