電気自動車(EV)や自動運転車の開発にIT企業が相次いで参入するなど、自動車業界は大競争時代に突入した。これまでハイブリッド車で業界をリードしてきたトヨタ自動車はいったいどう動くのか。『図解!業界地図2018年版』(プレジデント社)の著者が分析する――。

リーマンショックの落ち込みから回復

トヨタ自動車の誕生は1937年。現在の豊田自動織機から分離独立しスタートした。販売部門の分離・再統一など80年の歴史を積み重ねた現在、年間の売上計上台数はおよそ900万台(世界小売販売台数は1000万台強)を数える。売上高は30兆円に迫り、1兆円から2兆円規模の最終利益をコンスタントにたたき出す。

世界小売販売台数こそ日産自動車・三菱自動車・ルノー連合やドイツのフォルクスワーゲンに先行を許すようになったが、財務などを含めた総合力では、自動車業界世界トップ企業を堅持。創業以来の利益の蓄積を示す利益剰余金、いわゆる内部留保は18兆円に迫る。

トヨタは2000年代中ごろに急成長し、2007年から2008年にかけてピークを迎える。

08年3月期、自動車販売台数は891万台で、売上高は26兆2829億円。自動車部門の粗利益率17.7%(原価率82.3%)、営業利益率8.8%。最終利益は1兆7178億円だった。

だが、それもつかの間、リーマンショックを引き金とする世界的な金融危機が、実体経済に波及。経営破綻に追い込まれた米国勢のGMとクライスラー(現フィアット・クライスラー)に比べれば傷は浅かったともいえるが、トヨタも09年3月期、前年とは一転して4369億円の最終赤字に転落する。

トヨタの急成長は、非創業家出身の経営陣らがもたらしたといえるが、同時に、積極経営・拡大路線にかじを切っていたことも裏目に出たともいえるだろう。北米では大規模リコール問題も発生した。

人員整理を余儀なくされた1950年前後の経営危機以来の苦境に立たされたトヨタは、豊田章男社長(09年6月就任)を中心に、経営の立て直しに取り組むことになる。創業家出身の経営トップは、十数年ぶりだった。

以後、トヨタの代名詞ともいえる原価軽減を含め、さらなる筋肉体質の強化に邁進。生産工場の新設凍結などの荒療治も実施することになる。ハイブリッド車「プリウス」の開発・販売など、エコカーでもライバル社に先行。業績の回復を実現してきた。

リーマンショック時の落ち込みは、ほぼ10年かけて回復したことは、表にあるように自動車部門の粗利益率や営業利益率などにも示されているといっていいだろう。