「悔いが残らない人生を送りたい――」
私たちは内心、こう思って生きている。ところが死ぬ間際になると、多くの人が自分のこれまでの生き様に対して悔しい思いをするという。
誰しもが、人生の締めくくりに後悔などしたくない。だが、死は誰にとっても初体験ゆえ、何の準備もないまま最期のときを迎える羽目になる。後悔先に立たず、だ。しかしできることなら、元気なうちに準備をして、気持ちよく死にたいではないか。
そこで先人の経験に学ぶべく、数多くの終末期の人々を看取ってきた3人の識者を訪ねた。
日常的に人の死に際に立ち会っている緩和医療医の大津秀一氏、ビハーラ僧の三浦紀夫氏、ホスピス医の小澤竹俊氏の話は、我々がまず聞く機会がないことばかりだ。人生の先達たちが最期にどんな後悔を口にし、亡くなっていったのかを知ることで、我々にいつか平等に訪れる「死」に備え、後悔のない人生を送るための貴重な資料としようではないか。
死ぬ間際によくある後悔【お金・子ども編】
元気なうちは仕事やお金儲けに邁進してきた人も、死期が間近に迫るとお金の力が大して意味をなさないものだと気づく。しかし、死に際になってもなお、解決しなければならないカネの問題がある。そのひとつに自身の医療費がある。
高度な治療を受けて入院が長引けば、そのぶん医療費がかさむ。預貯金が底をつくと、十分な治療が受けられない事態に陥ってしまう。そんなときの頼みの綱は保険だ。「今は元気だから」「目先のお金が必要」と解約すると、病気になったとき後悔する。
逆に、金銭的に余裕があったらあったで厄介なのが遺産相続だ。遺言を残しておこうと思いつつ、先送りにしている人も多いだろう。いざ病を得てから金融機関に相談しようにも、もはや体の自由は利かず、自力で窓口を訪れることはできない。かといって、電話1本で気軽に解決できるものでもない。
一方、病に伏せて身に染みるのは、なんといっても家族のありがたさ。家庭を顧みなかったことを悔やむ声も多いという。そんな負い目もあるのだろうか。三浦氏によれば、子どもが見舞いに来てくれないと嘆く人は多いが、それを子どもに直接言ったりはしないものらしい。最期まで親の心子知らずとは、寂しいものだ。