アポロ11号月面着陸の同時通訳に感動

中山こずゑ・横浜市文化観光局長

【三宅義和イーオン社長】今回は横浜市文化観光局長として、活躍をしていらっしゃいます、中山こずゑさんをお迎えしました。中山さんは文化芸術創造都市の推進、コンベンション・国際会議招致、フィルムコミッション推進、観光情報発信などを通して、横浜の魅力を世界に向かってアピールされています。

それ以前は日産自動車に在籍し、企画統括部長、ブランドマネジメントオフィス室長、ブランドコーディネーションディビジョン副本部長を歴任されていますね。確か、電気自動車「リーフ」の命名に携わったとも伺っています。日産自動車といえば、カルロス・ゴーン氏が社長として来日した際、社内の公用語は英語になると話題になりました。その際、管理職になるには、TOEICでスコアが何点以上ないといけないというような要件があったのですか。

【中山こずゑ・横浜市文化観光局長】TOEICのスコアが何点以上必要ということはありませんでした。ビジネスの世界ですから、もっと実用的だった気がします。実際に会議の席上で話せ、相手が何を言っているのか理解できるかどうか。またそうした場で、堂々と自分の意見を述べられるかというほうが大事でしたね。

もちろん、TOEICが満点とか、それに近いスコアの社員もいました。それは素晴らしいことですが、そういう人が全員流暢にしゃべるわけではありません。ですから、日産に何か基準があったとしたら、それはコミュニケーションできることだと思います。

【三宅】中山さんご自身の人生における英語との出合いは、やはり中学生からだったのでしょうか。

【中山】違います。私が英語を最初に意識したのは、まだ小学生で、1969年のアポロ11号の月面着陸のシーンをテレビで見たときでした。年齢がわかってしまいますが(笑)。西山千さんと鳥飼玖美子さん、お二人が宇宙飛行士とヒューストンの地上基地のやり取りを通訳しているのを聞いて、「すごいな。日本人で、こんなことができる人がいるんだ」と感動したんです。

親に聞いたら「同時通訳という仕事で、とても高い技能が必要だよ」と教えられて、同時通訳者になりたいと、本気で考えたぐらいです。そして、ラジオで文化放送の「百万人の英語」を聴き始めました(笑)。確か、夜11時からだったと記憶していますが一生懸命聴きました。

そのころ、ラジオをチューニングしていると、800キロヘルツぐらいに英語だけで放送している局がありました。極東放送網のFEN、現在のAFNですが、それを聴くようになったのが、小学校のたぶん高学年ぐらいだったですね。

【三宅】それこそ本物の英語ですね。そういったところから英語に触れられたわけですか。すると、中学校に入ってからも英語は得意科目でしたね。

【中山】得意というよりも、ビートルズの大ファンで、耳から聞いて、口ずさんでいました。でも、そうすると歌詞の意味が知りたくなるわけです。歌詞カードを見て「Let it be」って、どう訳すのだろうと。辞書を引くと「ありのまま」といった訳が出ていましたが、彼らの映画を見た瞬間、これは「ほうっとけよ」っていう意味だと確信しました。もちろん、いろんなニュアンスはあるのでしょうが、間もなく解散する前でもあり、「俺たち、これから別々の道を行くから、ほうっておいてくれ」という意味を、あの言葉に込めたのではないかと勝手に想像しました。それは高校生のときでした。