売れなくて困っているのはブランドも同じだ。一部のブランド以外はある意味で百貨店以上に窮地に立たされている。たとえば時計。150万円の高級ブランド時計も1500円の香港製の時計も精度や耐久性はそれほど変わらなかったりする。どちらも同じシチズンのモジュールを積んでいる場合が多いからだ。ダウンジャケットなど防寒着の分野においてもユニクロなどのSPA(製造小売り)が1万円もしないで買える商品を出している。高級ブランドの商品と、それ以外の値段が10分の1、100分の1で買える商品の機能的な差異はほとんどなくなっているのだ。だから明確に感動や夢を売ることのできるブランドは生き残るが、イタリア製とかフランス製、というだけでは見向きもされなくなっているのだ。
高級ブランドのメーカーはこの30年間、労働コストの安い近隣の国に製造拠点を移してきた。たとえば「メイド・イン・イタリー」といえば高級品のイメージがあるが、シャツやドレスはルーマニア、靴やバッグなどの革製品はトルコでつくっていることが多い。素材の木綿は大体エジプト綿かトルコ綿。貝殻でできたボタンはフィリピン製が多い。縫糸もエジプト産やトルコ産。それらを集めてルーマニアで縫製して、最終的にイタリアに持ってきて包装する。こうしたパターンがあまりに増えてきたために、「メイド・イン・イタリー」をプロモートするイタリア政府はルールを変更して原産地証明の必要をなくした。ルーマニアで縫製していても、付加価値の一部がイタリアで加えられていれば堂々とイタリア製と表示できるようにしたのだ。
このようにして製造コストを下げる一方で、ブランドイメージをアップするために莫大な宣伝広告費をつぎ込む。これがブランド商法の実態である。ところが前述のように安価で性能もいい競合商品が登場してきたことで、ブランドの価値と価格の乖離が非常に目立つようになってきた。錯覚の上に成り立ってきたブランドが、成り立たなくなってきたのだ。これから先、クラフトマンシップがあるとか、本当の価値を提供できるブランドでなければ、生き残るのは難しくなってくるだろう。
生き残るためにブランドは自らの商品をもっとプレイアップして訴求したい。百貨店のディスプレイとスペースでは物足りないのだ。個人消費の低迷に、取り扱っているブランドのそうした実情も加わって、百貨店というロケーションビジネスは厳しい状況に追い込まれている。