五輪開催で国威発揚、は途上国の発想

3兆円という開催コストが飛び抜けて高いかといえば、そんなことはない。08年の北京オリンピックでは4兆円、14年のソチ冬季オリンピックは5兆円規模の事業費が費やされた。しかし、北京やソチのオリンピックにお金がかかったのは、開催国がいずれも発展途上の大国だったからだ。中国は共産党一党独裁の社会主義国家であり、国威発揚のために国を挙げてオリンピックの準備に取りかかった。ソチオリンピックの開催国であるロシアも旧ソ連時代からスポーツを国威発揚に利用してきた。プーチン大統領はロシアの復活を世界にアピールし、自らの権力基盤強化のために、なりふり構わず、国家ぐるみのドーピングをしてでも、何一つ施設のなかったソチでの大会を成功させたかったわけだ(不正や汚職が横行してコストが膨れ上がった面も見逃せない)。オリンピックは途上国にとって国威発揚の大事な機会だ。経済成長を果たしてオリンピックを開催できるレベルになった頃に、国威発揚のために開催地に立候補する。成功すれば晴れて途上国卒業である。64年の東京大会や88年のソウル大会、今年のリオなどはその典型だ。そのうちインドあたりも手を挙げるだろう。

64年の東京大会の総事業費は約1兆円だった。当時の国家予算は約3兆円だから、国家予算の3割分をオリンピックに投じたことになる。現在の国家予算に置き換えれば30兆円相当だ。そう考えれば3兆円の開催費用は決して大きくはない。だが、成熟した先進国が開催するオリンピックの費用としてはどうか。成功例とされる12年のロンドンオリンピックの開催費用で約1兆5000億円(最終的には2兆円超までかさんだという話もある)。過去に当初予算で収まったオリンピックは一つもない。予算見積もりの1.5倍ぐらいになるのは当たり前とされているが、7340億円の予算が4倍以上の3兆円超というのはやはり膨らましすぎだろう。日本の事情を知らないIOCに2750億円は削減できる、とアドバイスを受けるなど、日本側のどんぶり勘定を見透かされているようで恥ずかしい限りだ。

そもそも日本人は錯覚しているが、オリンピックの開催単位は都市である。先進国にとっては必ずしも国を挙げて取り組むイベントではない。たとえば92年のバルセロナオリンピックでは、バルセロナが開催1週間前に「ようこそ、カタロニア自治共和国へ」という新聞広告を世界中で打った。要するに「これはスペインではなく、カタロニア自治共和国が主催するオリンピックです」ということだ。首都のマドリードは悔しがって、その後何度も立候補しているが、まだ選ばれていない。ロサンゼルス大会でもアトランタ大会でも盛り上がっているのは開催地だけで、あとのアメリカ人は知らん顔をしていた。自国開催のオリンピックという感覚はアメリカ人には乏しいのだ。