長崎県のハウステンボスが再生し、快進撃を続けている。1992年の開業以来、赤字が続き、2003年には2000億円以上の負債を抱えて経営破綻。ファンド傘下で再建を模索したが、客足は遠のくばかりだった。ところが10年からエイチ・アイ・エス(HIS)が経営支援を引き受け、澤田秀雄会長が改革に乗り出すと、半年で黒字に転換。その後も入場者数は増え続け、前期には過去最高益を更新した。飽きられたはずのテーマパークは、なぜ復活できたのか。その秘密を探った――。

時代遅れの「石炭」が「ダイヤモンド」に変身

【澤田】弘兼先生、ハウステンボスにようこそいらっしゃいました。

【弘兼】ご無沙汰しています。園内はたいへん賑やかですね。10年ほど前に来たときとは印象がまったく違います。5年前、「HISがハウステンボスを支援」という記事を見たときには「澤田さんは大丈夫かな」と心配しましたが、杞憂でしたね。

エイチ・アイ・エス会長 澤田秀雄(さわだ・ひでお)
1951年、大阪府生まれ。73年旧西ドイツのマインツ大学に留学。在学中に50カ国以上を訪ねる。帰国後の80年に旅行会社を創業。90年社名をエイチ・アイ・エスとする。96年に航空会社、99年には証券会社の経営に乗り出す。10年よりハウステンボス社長を兼任。

【澤田】社内も社外も周囲はみんな反対でした。経営者の仲間には「いまHISの経営はうまくいっているんだから、わざわざ苦労する必要はないよ」ともいわれましたね。

【弘兼】それでも経営を引き受けた。

【澤田】ハウステンボスは関連会社を含めれば数千人の雇用を抱えています。それが消えれば、九州の観光業には大きな痛手です。佐世保市の朝長則男市長は2回訪ねてこられた。私は「ハウステンボスは九州のものですから、九州の企業が手がけたほうがいい」とお断りしました。ところが朝長市長は非常に熱心で3回目は朝一番にアポなしでお見えになった。その熱意にほだされました。

【弘兼】まさに「三顧の礼」ですね。市長の頼みを2度も断ったのは、それだけ難しいと思ったからですよね。

【澤田】テーマパークとしての条件が非常に厳しいと思いました。まずは過剰な設備投資です。ハウステンボスは東京ディズニーランドの約1.6倍の広さがあります。首都圏には3000万人以上いますが、地元の佐世保市と長崎市を足しても100万人に満たない。市場に対して、規模が大きすぎるんです。

【弘兼】広域から人を集めるには、アクセスが重要ですが、それも不利ですね。最寄りの長崎空港からはバスか高速船で約1時間。長崎市内からも電車で約1時間半。福岡市内からは高速道路を使って約2時間です。

【澤田】そして長崎、特に佐世保は雨が多いんです。天候が悪いと入場者は3割ほど減ってしまいます。

【弘兼】まさにヒット曲「長崎は今日も雨だった」のとおりですね。

【澤田】経営再建を引き受けるにあたり、「3年やってもダメだったら撤退する」と伝えていました。

【弘兼】赤字覚悟で引き受けたわけですね。それが、いまや利益ではHISの本業である旅行事業を上回るほどの水準になっています。

【澤田】当初、HISの取締役全員を連れてきたときは、閑古鳥が鳴いていました。11月ごろだったのですが、人がいなくて寒々しいぐらい。それが見違えました。ハウステンボスは時代遅れの「石炭」だと思っていましたが、実は磨けば磨くほど輝く「ダイヤモンド」だったんです。