ぼうっとした大学時代、あだ名は「寝太郎」

【弘兼】柳井さんが求める人材像というのは、どういったものですか。

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世界の主なSPA(アパレル製造小売)企業との比較

【柳井】人生の最終目標なのか、使命感なのか、自分のビジョンなのか。できるだけ早くそれを見つけるか、決めるか、発明するか。そういうことが必要なんじゃないかなと。僕もこの商売を一生やろうと思ったのが早かった。23~24歳からずっと経営をやっているのでうまくいったんだと思います。弘兼さんも、松下電器(現パナソニック)に入ったときには、将来は漫画家になろうかな、と思っていたのでは。

【弘兼】松下に入ったころは、「とりあえずこの会社でせめて部長ぐらいまでは行こう」と、まっとうな考え方を持っていたんですけどね。

【柳井】本当ですか。

【弘兼】思っていたんです(笑)。結局、25歳で会社は辞めました。ところで、柳井さんは僕と同じ早稲田大学の出身ですね。いま『会長島耕作』と並行して、『学生島耕作』という作品を連載しています。僕の学生時代の経験がモチーフなのですが、柳井さんはどんな学生でしたか。たとえば硬派だったか、軟派だったか、ぼうっと生きていたか。

【柳井】ぼうっと生きていましたね。

【弘兼】友達は多かった?

【柳井】いや、ほとんどいません。下宿にいて友達と麻雀したり、パチンコしたり、映画を観に行ったり。で、ときたま授業に行く。下宿のおばさんには「柳井さん、あなたいつも寝てますね」と言われました。あだ名は「寝太郎」でしたから(笑)。

【弘兼】これは意外ですね。世界的な企業のトップになる人は、学生時代から起業しているものかと。

【柳井】大学に入るまでは勉強していましたけど、入ってからはジャズばかり聴いていましたね。親父がせっかく仕送りをしてくれたお金は、ほとんどレコード代に消えた。ジャズ喫茶に行くよりも、部屋でしんみりと聴くのが好きでしたね。