10月16日に日経新聞が報じた「エイベックスがJASRAC離脱 音楽著作権、独占に風穴」(http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ15HUP_V11C15A0EA2000/)という記事は、音楽業界内外に驚きと戸惑いを持って受け止められた。98%以上ともされる音楽著作権管理のシェアを持つJASRACの独占が破られることへの期待と、一方で、業界2位のイーライセンスと3位のJRCの経営統合を働きかけたのが、音楽出版大手のエイベックス・ミュージック・パブリッシングであったことで、その狙いを巡る憶測や戸惑いも生まれたのだ。今回の取り組みの本意はどこにあるのか? 仕掛け人となった、イーライセンス社長の阿南雅浩氏と、JRC社長の荒川祐二氏に話を聞いた(本文敬称略)

エイベックスが「主語」ではない

――両者の経営統合のインパクトよりも「エイベックスがJASRAC離脱」がよりセンセーショナルに報じられましたね。

イーライセンス社長 阿南雅浩】世間の注目を集めるタイトルでこうして取材にも来て頂けるわけなので、有り難くはありつつも、今回の取り組みの主役は我々ではないのです。エイベックスはあくまでも、イーライセンス・JRCが一緒になることをお手伝いした「仲人」という立ち位置なんです。

JRC社長 荒川祐二】著作権管理事業が一般には残念ながら分かりにくい、ということもあって、あのような取り上げ方になった面はあるのかなと思います。まずは、そもそもどういう事業なのか、という点からお話ししたいと思います。

日本で仲介業務法が定められたのは1939年のことです。JASRACはこの法律によって生み出された、国が作った音楽における著作権管理事業の事業体であり、長くその独占状態――音楽著作権に関して一元的に信託管理する――が維持されてきました。

しかし、その有り様は時代の変化と共に実情にあわない部分も出てきて、アーティスト・権利者からも不満が寄せられるようになりました。1998年には坂本龍一さんが朝日新聞に「音楽著作権の独占管理改めよ」と銘打った論文(http://www.kab.com/liberte/rondan.html)を寄稿したのは象徴的な出来事でした。

――坂本龍一さんはネット配信にも早くから取り組んでいました。そういった活動から問題点を強く認識されたということでしょうね。

【荒川】ご存知のように坂本さんはアーティストの中でもいち早くインターネットの可能性に注目されていました。1995年に行ったインターネットライヴの経験なども踏まえ、坂本さんはインターネットという新しい環境のもとでは、著作権の独占的な集中管理では柔軟な権利の活用ができない、文化の創造のためにも競争原理を導入する必要があるということを強く主張されたんです。そのあたりが契機となって、文化庁の文化審議会での議論が深まり、2000年に著作権事業等管理事業法が新たに制定、翌年施行されます。著作権管理事業が、許認可制から登録制へと変わったわけです。JRC・イーライセンスはそのような変化を受けて誕生しました。

ほとんどの著作者=作詞家・作曲家は、著作権者=音楽出版社に著作(財産)権を譲渡します。楽曲や歌詞といった著作物を最大限に利用・開発してください、という契約がそこでは結ばれています。これらの作品を商用で利用する多くはレコードメーカーや配信事業者、そして放送局などですが、配信事業者だけとっても800~900あります。放送局も民放連加盟社だけで200を超します。

【阿南】音楽出版社も国内で約300ありますね。「エイベックス」というと音楽出版からレコードメーカーまでひとくくりに捉えられがちなんですが、今回の話では、音楽出版社(エイベックス・ミュージック・パブリッシング)として権利者の立場で参画する点にもご注意頂ければと思います。

【荒川】このように膨大な利用者が存在するので、著作権管理事業者が間に入って、いわば交通整理をしましょう、という形になっているわけです。いずれにせよ、あくまでも法律にのっとった仕組みですので、報じられたような「JASRAC離脱」といったセンセーショナルなものではなく、この秩序の中での取り組みであるというのはご理解頂きたいと思っています。