自分だったらどう決断するか

──2015年は戦後70年の節目であり、明治維新からは倍の約140年である。日本の近代化を成し遂げた明治天皇の玄孫(孫の孫)である2人の初対談が実現した。歴史には、従来の左右の思想の枠にとらわれない、ワクワクドキドキ知的興奮を覚える学び方があるという。

【渡辺徹】テレビに講演に引っ張りダコの(竹田)恒泰は、小さい頃から歴史を含めよく勉強し、ずば抜けて頭が良かった。一方、私たち11人の従兄弟は、恒泰以外はラグビーをやっていた私を含めてほとんどが体育系。恒泰の父(竹田恆和・日本オリンピック協会会長)は馬術の五輪選手だった。

【竹田恒泰】それなのに、私はスポーツが全くダメ。うちの親族と付き合いのある人からは、あなただけちょっと異色ですねって言われます。徹のお母様(明治天皇第六皇女の次女・紀子女王、1947年皇籍離脱)は皇族として生まれ育ち、躾も厳しかったのではないですか。

「恒泰(左)は小さい頃から勉強ができた」と渡辺氏(右)。

【渡辺】私自身は渡辺家の長男として生まれ育ったし、特別に厳しいとは思わなかった。それよりも周囲から「やんごとなきお方」とか、「世が世なら」とか、言われることがあって、何で渡辺徹個人として見てくれないのかと、子供心に思ったことはあります。

【竹田】私も竹田家に生まれたとはいえ戦後は民間人ですから、祖父(竹田宮恒徳王)が、作法に厳しかったぐらいであまり意識したことはありません。ただ、学校の歴史の授業は、少し特別だったかもしれません。

【渡辺】それは私も同じです。教科書の天皇の肖像画を見て、母に、これは誰ですかと聞いたときに、この人はおじいちゃまのずっと昔のおじいちゃまよと言われた。そして、おじいちゃまたちはみんな天皇と呼ばれていて、ずっと国を守ってきた人たちなのよと。それが強烈に頭に残り、中高校生になって歴史を学んでいくと、とにかく天皇がいっぱい出てくるわけです。

【竹田】歴史の授業が自分の先祖だらけ(笑)。自分がその当時の天皇だったら、同じことをしていたのだろうかと、いつもドキドキしながら勉強していたのを覚えています。

だけどこれは一般の日本人からしても実は同じことなんですよ。というのは、自分の家系を遡って、皇室に血筋がたどり着かない日本人は、統計論からしていないはずです。親は2人ですよね。祖父母は4人いて、曾祖父母は8人、という具合に1世代上がるごとに先祖の数が倍に増えていくと、20世代遡ったら私たち一人ひとりに100万人の先祖がいる計算になる。しかも20世代とは、1世代20年だとしてもわずか400年ぐらいのことなのです。今年が皇紀2675年にあたると考えれば、天皇の血筋を一切受けていない日本人は、統計的に存在しない。

【渡辺】そうですね。つまり皇室は、他国の元首とは違い、日本人を1つの家族と見たときの総本家みたいなものです。それは天皇が国民を大御宝として家族やわが子のように慈しんできた関係にも表れています。